【今日の歴史】1958年10月13日 の事

【今日の歴史】1958年10月13日 の事
まつもと泉氏の代表作「きまぐれオレンジ☆ロード」鮎川まどか。私の理想像であり、青春。
まつもと泉氏の代表作「きまぐれオレンジ☆ロード」鮎川まどか。私の理想像であり、青春。

まつもと泉生誕日

まつもと 泉(まつもと いずみ、1958年10月13日 – )本名、寺嶋 一弥(てらしま かずや)日本の漫画家。
男性。富山県高岡市生まれ。血液型A型。富山県立高岡工芸高校卒業。
藤子・F・不二雄の後輩にあたる。

経歴
高校卒業後、ロックミュージシャンを目指して上京する。パートはドラムス。
無類のロック好きで、シンガーソングライターの杉真理、ジェネシス、TOTOの大ファンである。

しかし、楽譜が読めなかったこともあってミュージシャンは断念し、デザイン専門学校に入学。

専門学校在学中、高校時代の友人と2人で漫画作品を描き、いくつかの出版社に“持ち込み”をした結果、集英社「週刊少年ジャンプ」編集部の高橋俊昌(初代担当編集者)に認められ、本格的にデビューへの道を歩み出す。

実は1980年代当初、硬派・劇画・スポーツ・ギャグを主軸としていたジャンプでは、売り上げの減少を食い止めるために他誌で人気を博していたラブコメと美少女キャラの要素を取り入れる方向で模索していた。
ちょうどその路線に合致するまつもとの絵柄を気に入り担当となった高橋とともに、その後は連載企画を練って打ち合わせを続けつつ、原稿が落ちた『ストップ!! ひばりくん!』(江口寿史)の穴埋め短編漫画や懸賞ページのイラストなどを描いていたが、友人は連載デビューまでの年間のギャラが数万円という経済状況に耐えきれず脱落。以降はひとりで活動を続ける。

1984年から「きまぐれオレンジ☆ロード」の連載を開始。瞬く間に人気作品となる。ちば拓や桂正和とともにジャンプでのラブコメ、美少女路線を開拓。読者アンケートでは10代を中心に男女共にバランスの良い人気を集めた。

「まつもと泉」のペンネームは、当初はユニットとして、高校時代の同級生の友人と二人で組んで活動を始めたため、それぞれが「松本」「いずみ」と語感の好きな名前を出し合い、そのままでは女性的な印象なので漢字とひらがなを逆にして決定した。
その他の候補では、当時二人でよく打ち合わせに利用していた渋谷駅前の喫茶店名から取った「渋谷パテオ」というのもあったが、却下された。

影響を受けたマンガ家は、永井豪、山上たつひこ、吾妻ひでお、田村信、江口寿史、高橋留美子など。

また、まつもとの姉が購入していた雑誌である少女マンガの分野では、多田かおる、よしまさこ、くらもちふさこなどの女流漫画家の画風とラブコメの要素の影響も受けている。

漫画家の友人は、みやすのんきや清水としみつ、宮崎摩耶ら。

年表
1981年、週刊少年ジャンプの月例新人賞であるフレッシュジャンプ賞で佳作入選 「LIVE! とってもロックンロール」 「週刊少年ジャンプ」でショート短編掲載。

1982年、「フレッシュジャンプ」に掲載された『ミルク☆レポート』で正式デビュー。

1984年、「週刊少年ジャンプ」において『きまぐれオレンジ☆ロード』を連載開始。

1988年、「スーパージャンプ」初月刊号から『せさみ☆すとりーと』を連載。

1993年、竹書房「コミックガンマ」新年号から大倉らいた原作で『BLACK MOON』の作画を担当。

1994年 ジャンプJブックスで 寺田憲史との共同原作で小説『新きまぐれオレンジ☆ロード』を制作。

1996年 東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)と共同でデジタルコミックCD-ROMマガジン『COMIC ON』を発売。プロデュース業と作家陣の一人二役を兼ねる。 以降、紙媒体の雑誌からデジタル・メディアでのマンガ制作に発表の場を移す。
私事ではあるが、この頃、私の病気についても松本氏にメールにて相談し、返事を貰った覚えがある。

1999年6月、2000年初めから「スーパージャンプ」で数年ぶりの新連載の予定だったが、原因不明の体調不良により延期となった。

2004年7月、この病気が4歳の時に遭った交通事故が原因の脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)であったことが判明。
まつもとの姉がまつもとに、この病気のことを教え、病院で受診した結果判明した。
現在ブラッドパッチ治療により、体調はある程度改善されているという。
闘病生活を基にした自伝的な書き下し漫画の準備を進めている。

「この病気のことを知らないために、死んでいった人もたくさんいるだろう。漫画の力でこの病気のことを伝えたい」

2007年10月19日、母校の富山県立高岡工芸高等学校にて講演をした。

2010年1月10日、「NHKニュースおはよう日本」に出演、自らの持病である脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)や自身の今後の活動に関して語った。

2011年7月1日-4日、ロサンゼルスで行われた『アニメエキスポ2011』に15年ぶりに参加。

2011年7月27日、若いころからファンだった杉真理のライブ観賞を楽しんだ後、知人の紹介で杉と会って感激し、記念撮影をした。

脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)とは
交通事故やスポーツ外傷など、体への衝撃によって脊髄の硬膜が破れ、脳脊髄液が漏れだし、減少することによって、頭痛、頸部痛、めまい、耳鳴り、倦怠、不眠、記憶障害等のさまざまな症状を呈する疾患ですが、いまだ定まった知見や治療法が確立されていないため、国において専門家による医学的な解明が進められているところです。
依然として多くの患者さんが、診療や治療を行っている医療機関を探すことに大変苦労している状況。

硬膜外自家血注入(ブラッドパッチ)が有効な治療法の一つと言われています。 漏出部位の脊椎硬膜外腔に自分の静脈血を注入し、血液が糊状に凝固し癒着をする事によって漏れを塞ぐ治療法。
硬膜外自家血注入(ブラッドパッチ)が有効な治療法の一つと言われています。 漏出部位の脊椎硬膜外腔に自分の静脈血を注入し、血液が糊状に凝固し癒着をする事によって漏れを塞ぐ治療法。

サイキンのまつもと -公式サイト

抜粋:http://ul.lc/52dt(wikipedia)より

歴史的な事件カテゴリの最新記事

Verified by MonsterInsights