【今日の歴史】1958年3月26日の事【ナンシー梅木】

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ミヨシ・ウメキ(ナンシー梅木)sleepyluna.exblog.jpより
ミヨシ・ウメキ(ナンシー梅木)
sleepyluna.exblog.jpより

東洋人初のアカデミー助演女優賞

ミヨシ・ウメキ(1929年5月8日 – 2007年8月28日)
北海道小樽市生まれのジャズ歌手、女優である。
本名は梅木 美代志
他界時の合衆国連邦政府登録名はMiyoshi Hood
日本ではナンシー梅木の芸名で知られる。

1957年のハリウッド映画『サヨナラ』で東洋人の俳優として初のアカデミー賞1958年3月26日受賞した。

生涯
兄が進駐軍の通訳をしていた関係からキャンプでジャズを歌うようになり1950年代における日本のジャズ歌手の草分けとして角田孝&シックスやレイモンド・コンデのゲイ・セプテットなどのジャズバンドで人気を博し、ナイトクラブやステージで活躍した。

『青春ジャズ娘』(1953)
『ジャズ・オン・パレード1954年 東京シンデレラ娘』(1954)

などのミュージカル映画にも出演した。

1955年、音楽の勉強のため渡米した梅木は以後活動の舞台をアメリカに移す。

1956年にはCBSテレビの『アーサー・ゴドフリー・ショウ』着物姿で出演して英語の歌を歌い話題となった。
これが縁となってマーキュリー・レコードでLPアルバムを発表、ここでは英語と日本語を交えて日本とアメリカの曲を歌っている。

アルバムタイトルは
『Miyoshi Umeki: Miyoshi Sings for Arthur Godfrey』

1958年には同レーベルでセカンド・アルバム 『Miyoshi』 も発表している。

1957年、マーロン・ブランド主演の映画『サヨナラ』で高美以子と共にスクリーンデビュー。
この映画の演技でアカデミー助演女優賞を受賞した。

これは東洋人の俳優としては初のアカデミー賞受賞であり、また助演女優賞を米国・英国以外の俳優が受賞したのも初めてであった。

なお、この年の助演男優賞にはやはり日本人の早川雪洲(『戦場にかける橋』)がノミネートされていたが受賞者は『サヨナラ』でミヨシの相手役であったレッド・バトンズであった。

1958年開演のブロードウェイミュージカル『フラワー・ドラム・ソング』 に出演したミヨシはトニー賞のミュージカル部門最優秀女優賞にノミネートされ、1961年に映画化された際にも舞台と同じ役を演じた。

その他の映画出演作品には
『嬉し泣き』(1961)
『戦略泥棒作戦』(1962)
『忘れえぬ慕情』(1963)
などがある。

また、1969-1972年にはテレビドラマ『エディの素敵なパパ』にレギュラー出演している。

またゴールデン・グローブ賞に3回ノミネートされている。

ミュージカル・コメディ部門 主演女優賞 『フラワー・ドラム・ソング』(1961)

ミュージカル・コメディ部門 助演女優賞 『サヨナラ』(1957)

ミュージカル・コメディ部門 助演女優賞(連続TV部門) 『The Courtship Of Eddie’s Father』(1970)

日本どころか世界に誇れる華やかなキャリア・受賞歴の影で私生活には恵まれなかった。

離婚を経験、そして再婚を果たすも再婚相手に先立たれた。

ミヨシのショックは尋常でなかったようで、再婚相手の死の後は芸能活動から遠ざかりマスコミの取材などにも応じていなかったため近況は長い間不詳であった。

米国の様々なサイトによると引退後ハワイに移住した後、最近までミズーリ州で息子夫婦や孫と暮らしていたという。

2007年8月28日にミズーリ州オザークのリッキングにある医療保養施設で、癌のため死去していたことが伝えられた。


ナンシー梅木
Let’s Say Good-bye(1953)
youtubeより

抜粋:http://bit.ly/1DXWSL5(wikipedia)より

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