日本で初めてミニスカートを発売
ミニスカート
(Miniskirt )
丈の短いスカートの総称である。
「ミニスカ」、あるいは「ミニ」などと略され、
膝上丈よりもさらに短い、
太股の中央よりも上の極端に短いものは
「マイクロミニスカート(マイクロミニ)」
と呼ばれることもある。
ミニスカートの起源
ジバンシーのサックドレス(シュミューズスタイル)が徐々に変化してミニスカートになったと言われています。
「サック」とは袋のことで、ずん胴形のまるで袋のようなシルエットのドレスを言う。
1958年のパリコレクションで発表された。
全くウエストラインを意識しないもので着やすさが人気となった。
そして、帝人が日本で初めてのミニスカートを発売しました。
「だけじゃない、テイジン」をキャッチフレーズにフランス人少女・カトリーヌ(子役:マノン・ゴラン、吹き替え:三輪勝恵)が出演したCMで有名なあの帝人です。
1965年(昭和40年)8月11日、帝人が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。
1967年(昭和42年)に野際陽子がパリから帰国した際に着用していたことが話題になり、美空ひばりが、1967年にテレビの歌謡番組で『真赤な太陽』を初めてミニスカート姿で歌ったことも話題となり、1960年代後半ミニスカートが大流行となった。
それ以来、都市部の若い女性だけにとどまらず、世代を超えて全国津々浦々に広がり、1969年(昭和44年)に首相・佐藤栄作の訪米に同行した首相夫人・佐藤寛子は当時62歳の年齢でミニスカートを着用した。
かっけ~!
この当時多くの女性のミニスカートはひざ丈よりやや短い程度であった。
また既存のスカートの裾を自ら短くしてミニスカートに改造することも多く、その様は漫画・『サザエさん』でもしばしば描かれている。
この第一次ミニスカートブームは交通機関・女性警官・大阪万博での多くのパビリオンのコンパニオンなど女性の制服にも影響したが、1973年(昭和48年)〜1974年(昭和49年)頃には終息した。
その後1982年(昭和57年)頃の小流行を経て、1980年代末から1990年代初頭のバブル期には膝上30~35cmで「超ミニ」、「マイクロミニ」などとも呼ばれるミニスカートが流行した。
この流行はボディコンシャス(ボディコン)なスタイルの流行に伴うもの。
その後は若年層を除いて極端なミニスカートの流行はみられないが、スカートの丈と経済の好況不況が関連付けて論じられることもある。
ミニスカートとはあまり関係ないが、1960年代の東京の映像があったのでyoutubeより共有させてもらいました。
参考:http://ul.lc/4uwm(Wikipedia)より