ポール・ドゥメール暗殺
Paul Doumer
1857年3月22日 – 1932年5月7日(75歳)
第14代のフランスの共和国大統領を務めた人物である。
インドシナにおけるフランスの植民地支配を完成させた。
この人物に関してはある機関に属していたためか?
公文書があまりない。
それを了承の上、読んでいただきたい。
略歴(伝記)
1857年3月22日カンタル県のオーリヤックで生まれ、フランス国立工芸院を卒業。
1877年、マンドで数学の教授になる。
1878年には、大学で知り合ったブランシュ・リシェルと結婚し、8人の子供をもうけたが、その内の5人は戦争で死亡した。
(フランス誌では4人が戦死となっています。)
1914 – アンドリューが戦闘で戦死。
1917 – レネは空中戦で撃墜され戦死。
1918 – マルセルが空中戦で戦死。
1920 – アルマンが、ガス中毒で戦死。
1879年から1883年に健康上の理由で離れるまで、ルミルモンで教授を務め、その後フランスのサンカンタンにある地方新聞ル·クーリエドゥエーヌの編集長となった。
1879年にフリーメイソンのロッジに入り(ルミルモンで教授を始めた時期)、1892年に“L’Union Fraternelle”ロッジのGrand Secretaryとなった。
1888年に政治の世界に入り、1895年から96年の短期間、経済・財務省の大臣を務めた。
1897年~1902年にはフランス領インドシナ総督を務め、インドシナから帰還後の1902年から1905年には下院議長を務めた。
総督在任中にロンビエン橋が完成し、彼の名前から「ドゥメール橋」と命名された。
この橋は有名なランドマークとなり、ベトナム戦争中は米軍のパイロットの標的とされた。
1925年にルイ・ルシュールが辞任すると、彼は再び経済・財務大臣となった。
1927年から1931年の大統領選挙まで、元老院議長を務めた。
1931年5月13日に、彼はアリスティード・ブリアンを破ってガストン・ドゥメルグの次の共和国大統領に就任した。
暗殺
1932年(昭和7年)5月6日、ドゥメールはパリのホテル・サロモン・ド・ロスチャイルドのブックフェアでクロード・ファレルと話していた。
突然、同じく出席者であったポール・ゴルギュロフ(ロシア移民の元共産党員でモスクワからパリに潜入)がドゥメール大統領を反ソの頭目と見なして銃を何発か撃った。
(ゴルギュロフは精神的におかしいと思われる部分もあったとされている。)
その内の銃弾2発がドゥメールの頭蓋下部と右脇に命中し、ドゥメールは地面に倒れ込んだ。
ファレルは、警察が到着するまで暗殺者と格闘した。
この時、ファレルは弾を受け負傷していた。
ドゥメールはパリの病院に運び込まれたが、5月7日午前4時37分に死去した。
彼は、銃創が原因で死去した唯一の共和国大統領となってしまいました。
1932年5月12日、ノートルダムとパンテオンで葬儀が行われ、ヴォージラール墓地に家族と一緒に眠っています。
フリーメイソンが関係する所に…ありなのかも知れない。
このまま湿っぽく終わりたくないので。
関連話として
勘違いされがちなのはフリーメイソン=イルミナティ。
同じ機関ではないですからね~。
どこでどうなったかは知らないけれど、同じと考える人が多いです。
テンプル騎士団=フリーメイソンの方がまだ真実味がある。
謎話と言えば、フランスも結構な数の都市伝説が有ります。
一部例を挙げると、有名なルーブルピラミッドや映画にもなったダビンチコード、フランス王家を滅ぼしたホープダイヤモンド(以前紹介済リンク)、オルレアンの噂(日本のだるま話の元とされる)等など。
伝説では、ゲームで有名なイースの伝説(Ys正確にはイス、もっと正確に書けば、Is)が有名ですね。
抜粋:http://ow.ly/MAiFH(wikipedia)より
平成都市伝説 他【電子書籍】
「都市伝説」コレクション 他【普通書籍】
個人的にフランス映画が好きなのでw
フランス映画 【DVD・BD】