【今日の歴史】1871年10月8日の事

【今日の歴史】1871年10月8日の事
シカゴ市内で発生した大規模火災
シカゴ市内で発生した大規模火災

シカゴ大火起きる

シカゴ大火(Great Chicago Fire)とは、1871年10月8日夜にアメリカ合衆国イリノイ州シカゴ市内で発生した大規模火災のこと。

出火原因
真の出火原因は不明。
なお、よく知られる伝説として、シカゴ市南西部居住のキャサリン・オレアリー(Catherine O’Leary。ジェームズ・オレアリーの母)が牛舎で牛の搾乳をしようとした際にランタンが牛に蹴られて倒れ出火したとされるが、これは当時の新聞記者(シカゴ・リパブリカン紙(Republican newspaper in Chicago))による捏造であったことを、同紙記者であったマイケル・エイハンが1893年に認めている。
長年、罪の意識を持ち続けたとされるキャサリン・オレアリーは1895年に死去。

被害拡大
被害拡大の理由としては、異常乾燥、強風のほか、消防機関の連絡ミスなどが重なったためと見られている。

1868年に作成された地図に、2009年に火災範囲を書き込んだシカゴの地図
1868年に作成された地図に、2009年に火災範囲を書き込んだシカゴの地図

被害
死者250人以上、17,400以上の建造物が全焼。鎮火した10月10日早朝までに2,000エーカー(約800ヘクタール)以上を焼き尽くした。被害額は当時にして約2億ドル、家を失った人は10万人に上ったという。

火災後
火災を報じた新聞の切り抜き 19世紀を通してアメリカ史上最大の災害であり、多くの被害を出したと同時に、シカゴ市の再開発を進展させた契機として知られている。
古い建物が軒並み焼け落ちたため、大規模な建築を可能とする広い空間が出来た。
また被災後、市は木造住宅を禁止し、煉瓦、石造、鉄製を推奨したため、多くの建築家の手により、後に摩天楼といわれる高層建築物の建設ラッシュが始まった。

シカゴ・ウォーター・タワー:シカゴ大火で焼けなかった
シカゴ・ウォーター・タワー シカゴ大火で焼けなかった

シカゴ・ウォーター・タワー
1871年のシカゴ大火で焼けなかったことでウォーター・タワーは有名となり、オールド・シカゴ及びシカゴ市の復興のシンボルとなる。
なお、「シカゴ大火で焼け残った唯一の建築物」と誤解されることがあるが、ウォーター・タワー以外にも焼けなかった建物もあった。
正しくは「シカゴ大火で焼け残った唯一の公共建築物」であり、また「シカゴ大火で焼け残った唯一の現存する建築物」でもある。

アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにある歴史的建造物。シカゴダウンタウン北のニア・ノース地域、「マグニフィセント・マイル」(ミシガン・アベニューのショッピングエリア)内に位置する。

ケンタッキー州ルイビルのルイビル・ウォーター・タワー (Louisville Water Tower) に次いで、全米で2番目に古い給水塔である。

抜粋:http://ul.lc/51j3(wikipedia)より





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