ベンジャミン・フランクリン
Benjamin Franklin
(1706年1月17日 – 1790年4月17日)
アメリカ合衆国の政治家、外交官、
著述家、物理学者、気象学者。
印刷業で成功を収めた後、
政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。
また、凧を用いた実験で、雷がelectricity(電気)
であることを明らかにしたことでも知られている。
概要
1752年 の今日、 ベンジャミン・フランクリンが、凧を用いた実験で雷が電気であることを証明する。
で、自分で凧を上げて実験したと思うじゃ~ん?
実は、凧をあげたのは本人ではなかったw
ちなみに、米100ドル紙幣に肖像が描かれている他、1963年までハーフダラー銀貨にも彼の肖像が使われていた。
勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物である。
己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。
『フランクリン自伝』はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。
略歴(ユリウス暦)
1706年1月6日(グレゴリオ暦1706年1月17日)、ボストンのミルク・ストリートで生まれる。
父親のジョサイアは二度の結婚で17人の子供をもうけた。
ベンジャミンはその15番目であった。
1716年、10歳で学校教育を終える。
1718年、『ニュー・イングランド・クーラント』紙を印刷出版していた兄のジェームズの徒弟となった。
その後、次第に記者や編集者として頭角を現した。
同紙の自由主義的論調により兄が投獄されたときは、代わりに発行人となったこともある。
1729年、植民地時代もっとも読まれていた『ペンシルベニア・ガゼット』紙を買収。
アメリカ初のタブロイド誌を発行。
1730年、フィラデルフィアのセントジョーンズ・ロッジ(St. John’s Lodge)にてフリーメイソンに入会。
1731年、フィラデルフィアにアメリカ初の公共図書館(フィラデルフィア組合図書館)を設立する。
この図書館は成功を収め、これを規範にアメリカの他の都市にも図書館が開設されるようになった。
1734年、ウォーター・ストリートのタン・タヴァンのフリーメイソンリー(フリーメイソン)のロッジで、グランド・マスターに選ばれた。
1743年、アメリカ学術協会を設立した。
1748年、印刷業から手を引き、公職に専念するようになる。
ペンシルベニア植民地議員や郵便総局長をつとめた。
啓蒙思想の普及に身をささげた。
1751年、フィラデルフィア・アカデミー(後のペンシルベニア大学)を創設。
1757年、植民地の待遇改善を要求するためにイギリスに派遣された。
同年、彼の科学的な業績を称えオックスフォード大学にて名誉学位を授与されている。
1776年、アメリカ独立宣言の起草委員となり、トーマス・ジェファーソンらと共に最初に署名した5人の政治家のうちの1人となった。
独立戦争中はパリの社交界を中心に活動しセレブ女性の人気を得、欧州諸国との外交交渉に奔走。
独立戦争へのフランスの協力・参戦と、他の諸国の中立を成功させる。
1778年4月7日 パリでヴォルテールをフリーメイソンリーに入会させる。
1783年4月3日 パリで中立国のスウェーデンとアメリカ・スウェーデン友好通商条約を締結する。
1790年4月17日 84歳で死去。
葬儀は国葬であった。
豆知識
有名な凧揚げ実験は、本人ではなく彼の婚外子が行っている。
Σ(‘◇’*)エェッ!?
ライデン瓶の実験を知り、電気に興味を持ち、1752年6月15日に雷を伴う嵐の中で凧をあげ、凧糸の末端にワイヤーで接続したライデン瓶により雷雲の帯電を証明するという実験を行った。
また、雷の電気はプラスとマイナスの両方の極性があることも確認したといわれている。
この命がけの研究結果によってフランクリンはロンドン王立協会の会員となった。
何とは言わないが、何かずるい。。。
この逸話は有名になったが、同じような実験をしようとして死者が出たため、現在はあまり紹介されない。
本当にそれだけの理由か?
夏時間を考案したが、この時代には採用されなかった。
もともとは奴隷所有者であったが、アメリカ建国の父の中で唯一奴隷制廃止を唱えるようになった。
抜粋:http://ul.lc/4prh(wikipedia)より
ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句2-【電子書籍】
フランクリン自伝/ベンジャミン・フランクリン/松本慎一
PR