ブルックリン橋開通
Brooklyn Bridge
アメリカ合衆国ニューヨーク市のイースト川をまたぎ、
マンハッタンとブルックリンを結ぶ橋
英国の君主ビクトリア女王の誕生日と同じため、
多くのアイルランド人は、開会式典をボイコットした。
概要
マンハッタン島南端付近から南東方向に向かって伸びており、マンハッタン橋と並ぶように位置している。
イースト川の上に架かっており、ロウアー・マンハッタンのシヴィック・センターとブルックリンのダンボ/ブルックリン・ハイツを結んでいる。
長さは1,825.4 m、中央径間は486.3 mである。
600人以上の労働者が関与し、1500万ドル(現在で3.2億ドル)を費やし建設された。
もともとの名称は“ニューヨーク=ブルックリン橋”および”イースト・リバー橋”といったが、1915年に正式に現在の名前(ブルックリン橋)となった。
アメリカで最も古い吊り橋の一つであり、同時に鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもある。
14年の歳月をかけて1883年に竣工・完成した。
同年5月24日に開通し、開通初日には15万人もの人がこの橋を渡った。
1903年に上流のウィリアムズバーグ橋ができるまで世界最長の吊り橋であった。
ブルックリン橋は1964年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に、1972年に土木工学歴史建造物に登録された。
また、この橋は 2層に分かれており、現在でも上層は人や自転車が歩いて渡ることができる。
下層は片側3車線の車道である。
ブルックリン橋はゴシック風のデザインともあいまってニューヨークの観光名所のひとつになっており、休日にはよく橋の上をランニングする人々を見ることができる。
なお、マンハッタンからイースト川下流にかかる3本の吊り橋の順序は、下流(南)からBMW (Brooklyn, Manhattan, Williamsburg) と記憶するという方法がある。
歴史
ジョン・オーガストス・ローブリング抜きにはこの橋は語れない。
John Augustus Roebling
出生時はドイツ語表記でJohann August Röbling
発音ではヨーハン・アウグスト・レーブリング
(1806年6月12日-1869年7月22日)
ドイツ東部のテューリンゲン州ミュールハウゼン・イン・テューリンゲン(Mühlhausen/Thüringen)生まれの土木技術者である。
14歳で建築修士の試験をパスし、この知性を見抜いた母親・フレデリケ・ドロテア・ローブリングは、彼をベルリン王立高等理工科学校(現・ベルリン大学理工学部土木工学科)の橋梁工学に進学させた。
吊り橋に使用するワイヤの開発や吊り橋式水道橋や鉄道橋(シンシナティ・コビントン橋。1984年にジョン・A・ローブリング橋に改名)、ブルックリン橋の設計で知られる。
修理や再塗装は2006年10月に終了されている。
ジョン・A・ローブリング橋は当時の世界最長の橋であったが、その記録を塗り替えたのはローブリング自身が設計したブルックリン橋であった。
1867年、ローブリングはブルックリン橋の設計に取りかかった。
だが、1869年のある日、ローブリングはドックの端に立ち、どこに架橋すべきかを考えていた時、ドックに到着した船が足に当たり、大怪我をしてしまう。
爪先を切断することになったが、彼はそれ以上の医療手当を拒み、以降の治療をウォーターセラピー(傷口に水を流し続けること)のみで行った。
病院にいたときも、ローブリングは橋の設計をし、生じた問題の解決にあたったが、ローブリングは破傷風にかかっていた。
容態は悪化し、事故から24日後に死去した。
その後、南北戦争に従軍した息子のワシントン・ローブリング(1837~1926年)が建設を引き継いだが、ケーソン病により下半身を麻痺したため、同じドイツ系の妻のエミリー・ワーレン・ローブリング(1843~1903年)が工学を勉強し、現場の監督者と彼との意思疎通をはかった。
1903年に妻を先立たれてからも、1926年に89歳で亡くなるまで自宅から望遠鏡で橋の建設を見守ったという。
建設当時、ケーソン病はまだよく理解されていなかった。
ケーソン病
身体の組織や体液に溶けていた気体が、環境圧の低下により体内で気化して気泡を発生し、血管を閉塞して発生する障害の事である。
潜水症(病)、潜函症(病) 、空気塞栓症、あるいは減圧症(げんあつしょう)とも呼ばれる。
ローブリングは橋を設計する際に、当時必要と考えられていた強度よりも 6倍も頑丈に設計した。
橋が建設された当時はまだ風洞実験が行われておらず、同時期に建てられた橋のほとんどが廃棄されたのに対して、この橋が今日まで生きながらえたのはこのようないくつかの幸運があったためだと指摘されている(多くの橋が廃棄されたのは、タコマナローズ橋が風で崩壊したことも理由となる)。
建設に際しては多数のケーソン病による死者を出した。
豆知識
三男のチャールズ・ローブリングは80トンのワイヤロープマシンを設計・発明した。
また、エレベーター用ワイヤを製造するワイヤ製造工場も設立した。
その場所が、現在のニュージャージー州フローレンス・ローブリング(地名)である。
ローブリングの孫にあたるワシントン・ローブリング二世はタイタニック号の事故で遭難した。
曾孫のドナルド・ローブリングはLVT(アメリカ海軍と同軍海兵隊用の水陸両用車)の発明者であると同時に社会奉仕家として知られる。
アクセス
マンハッタン側からは、ニューヨーク市地下鉄ブロードウェイ線(N R Q W)、レキシントン街線(4 5 6)でCity Hall駅(赤◯)下車。
City Hall Park駅から橋はすぐに見える。
ブルックリン側から渡るなら地下鉄の8番街線(A C)のHigh Street – Brooklyn Bridge駅(青◯)下車。
こちら側から渡るほうが圧倒的に景色がいいが、入り口がわかりにくいので注意。
大きい地下鉄マップはこちら(pdf形式)
過去には、電車という選択があった。
なお、歩行者用の通路でも自転車が猛スピードで走っていくことが多い。
特に見通しの悪い夜間に橋を渡るときは注意が必要である
抜粋:http://tiny.cc/vdjkyx(wikipedia)より
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