【今日の歴史】1886年5月4日の事【労働者の憂鬱】

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“Haymarket Riot(ヘイマーケット事件)”を記念する碑出典:d.hatena.ne.jp
“Haymarket Riot(ヘイマーケット事件)”
を記念する碑
出典:d.hatena.ne.jp

ヘイマーケット事件

1886年5月4日にアメリカ合衆国シカゴ市で発生した暴動。
後に5月1日労働者の国際的連帯の日と定め、
これがメーデーの起源となる。

経緯
5月1日8時間労働制を求める労働者のストライキとデモが発生。

5月3日、ストライキを行っていた労働者4名が警官により射殺される。

5月4日、シカゴ市内のヘイマーケット広場で抗議集会が開かれる。
解散を求める警察側との間で爆発物を使用した衝突が発生。
警察側8名、労働者側4名の死者を出す。

裁判
逃亡中の1人を含めたアルバート・パーソンズら9人のアナキストが起訴され、6月21日から裁判にかけられた。

Albert Richard Parsons出典:en.wikipedia.org
Albert Richard Parsons
出典:en.wikipedia.org

被告人らは皆が無罪を主張したが、検察側は被告人らが共同謀議の末に全シカゴを爆破すると決め、5月4日の爆弾テロに至ったと主張した。

裁判では共同謀議の存在は立証できず、爆弾を投げた実行犯が誰であるかさえ特定できなかった。

しかし、判事は陪審団に対して、被告人らが過去に暴力行為を推奨してきた以上、爆弾を投げたのが誰であるにせよ、被告人らは責任を逃れられないと語った。

ほとんど魔女裁判だな。。。
証明出来ない者を罰してはいけない!

8月20日陪審団は3時間の合議の後に、被告人7人に対して絞首刑を、1人に対して懲役15年を評決した。

裁判をやり直しを求めた弁護側に対して判事はこれを却下し、

「被告の誰かが爆弾投擲に加わったか、あるいはそれを予想したかどうかは枝葉の問題である。陪審員評決を覆すことは、無政府状態の導入につながる」

と述べた。

11月10日の朝死刑囚の1人が自殺し、同日夕方2人が無期懲役に減刑された。
翌11月11日4人の死刑囚は処刑された。

その後
事件から6年が経過した1892年6月25日、イリノイ州知事のジョン・ピーター・アルトゲルドは、

John Peter Altgeld出典:en.wikipedia.org
John Peter Altgeld
出典:en.wikipedia.org

被告人らが疑う余地なく無罪であり、処刑された4人は冤罪であったと認め、獄中に残されていた3人の囚人を無条件で釈放した。

事件の引き金となった5月1日は、国際的にメーデーとして設定されたが、アメリカでは暴動の記憶を再び呼び起こしかねないとして、9月の第一月曜日をレイバーデーとして設定している。

豆知識
「メーデー(May Day)」とは

本来五月祭を意味するものであった。
世界各地で毎年5月1日に行われる祭典である。
ヨーロッパでは夏の訪れを祝う日である一方、この祭では労使双方が休戦し、共に祝うのが慣習となっており、労働者が統一して権利要求と国際連帯の活動を行う日でもある。

メーデー (遭難信号) ではない。
綴りは同じMaydayではあるが、こちらは音声無線で遭難信号を発信する時に国際的に使われる緊急用符号語である。
フランス語の「ヴネ・メデ(venez m’aider)」、すなわち「助けに来て」に由来する。

「労働(者)の日」(Labour Day)ともいうが、いくつかの国ではその国独自の「労働者の日」を定めているため、その場合、International Labour Day と言う必要がある。

抜粋:http://bit.ly/1AwIZxx(wikipedia)より

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