【今日の歴史】1910年4月15日の事【第六潜水艇の遭難】

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第6潜水艇模型出典:http://daikoube.blogspot.jpより
第6潜水艇模型
出典:http://daikoube.blogspot.jpより

第六潜水艇の遭難

第六潜水艇(後に第六潜水艦と改称)大日本帝国海軍の潜水艇。
艦級は改ホランド級で、1906年(明治39年)4月5日竣工
1920年(大正9年)12月1日除籍。
その後、沈没の際の乗組員の行為が顕彰されたため
海軍潜水学校で展示されたが
第二次世界大戦後に進駐軍によって解体された。

呉市にある鯛乃宮神社には第六潜水艇殉難者之碑があり、毎年、事故のあった4月15日に追悼式が行われる。

概要と原因
1910年(明治43年)4月15日、第六潜水艇はガソリン潜航実験の訓練などを行うため岩国を出航し、広島湾へ向かった。

この訓練は、ガソリンエンジンの煙突を海面上に突き出して潜航運転するもので、原理としては現代のシュノーケルと同様であった。

午前10時ごろから訓練を開始、10時45分ごろ、何らかの理由で煙突の長さ以上に艇体が潜航したために浸水が発生したが、閉鎖機構が故障しており、手動で閉鎖する間に17メートルの海底に着底した。

第六潜水艇は日ごろから長時間の潜航訓練を行っていたため、当初は浮上してこないことも異常と思われなかった。

また、母艦の見張り員は、異常と報告して実際に異常がなかった場合、潜水艇長の佐久間大尉の怒りを買うのが怖くて報告しなかった、とも述べており、調査委員会はこの見張り員の責任を認めつつも、同情すべき点が多いとして処分していない。

異常に気がついた後、歴山丸は呉在泊の艦船に遭難を報告。

事故発生後、捜索・救助のため多数の艦船が出動したが、沈没位置を確認したのは約50時間後であった。

引き揚げられた六号艇は呉港に曳航された。

内部調査が行われた。

佐久間艇長以下、乗組員14人のうち12人が配置を守って死んでいた。

残り2人は本来の部署にはいなかったが、2人がいたところはガソリンパイプの破損場所であり、最後まで破損の修理に尽力していたことがわかった。

歴山丸の艦長は、安全面の不安からガソリン潜航をはっきりと禁止しており、また佐久間大尉もガソリン潜航の実施を母船に連絡していなかった。

歴山丸の艦長は事故調査委員会において、佐久間大尉が過度に煙突の自動閉鎖機構を信頼していたことと、禁令無視が事故を招いたのだと述べている。

また、事故調査委員会では、潜航深度10フィートと言う、シュノーケルの長さよりも深い潜航深度の命令があったと記録されているが、実際にそのような命令ミスがあったのか、記録上のミスなのかは不明。

この事故より先にイタリア海軍で似たような事故があった際、乗員が脱出用のハッチに折り重なったり、他人より先に脱出しようとして乱闘をしたまま死亡していたため、帝国海軍関係者も最初は醜態を晒していることを心配していた。

ところが、実際にはほとんどの乗員は配置についたまま殉職、死に臨んでも持ち場を離れなかった、その職務精神の高さに世界が驚嘆した。

さらに佐久間艇長は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を認めていたため、これが「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇」ということで、修身の教科書や軍歌として広く取り上げられたのみならず、海外などでも大いに喧伝された。

在りし日の第六潜水艇出典:ja.wikipedia.org
在りし日の第六潜水艇
出典:ja.wikipedia.org

影響
アメリカ合衆国議会議事堂には遺書の写しが陳列されたほか、感動したセオドア・ルーズベルト大統領によって国立図書館の前に遺言を刻んだ銅版が設置され、真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発した後も撤去されなかった。

英国ポーツマスの対岸ゴスポート基地にある王室海軍潜水資料館の中に、佐久間艇長の遺書の写しとその英訳及び説明が今でも展示してある。

ある駐日英国大使館付海軍武官は、戦前から戦後まで英国軍人に尊敬されている日本人として佐久間を挙げ、戦後の日本人は「佐久間精神を忘れている」1986年岩国追悼式でスピーチした。

小浜市の小浜公園に佐久間艇長の銅像があります。

小浜公園にある佐久間艇長の銅像出典:http://4travel.jp
出身地の福井県
小浜市の小浜公園にある
佐久間艇長の銅像
出典:http://4travel.jp

1998年(平成10年)4月に、佐久間艇長の出身地である福井県三方町で行われた、佐久間艇長遺徳顕彰祭に、駐日英国海軍武官が列席して、下記のようなスピーチをしている旨の記載があります。
(以下Yahoo知恵袋より)

英国大使館付武官ロバートソン海軍大佐のスピーチ
今を去る88年前、広島湾において、第六潜水艇が遭難し、その結果、悲惨にも佐久間艇長以下乗組員すべてが殉職した事故について、皆さんはよくご存じのことと思います。

私も潜水艦乗りの海軍大佐であり、これまでに3隻の異なった潜水艦長をした経験がありますので、私は今から88年前に広島湾の第六潜水艇内において、佐久間艇長と艇員がいかに卓越した勇気と献身的責任感を示したかが、特によく理解できると信じております。

われわれ潜水艇に勤務するものは、潜水艇勤務上準拠すべき安全規範を樹立するのに貢献して、尊い犠牲となられた初期の人々の勇気とお手本に、多大の恩恵をこうむっているのであります。

それらは「良き潜水艇乗りの処置」として知られているものであり、さらにそれらは、種々の過ちや初期のころの機器の欠陥などから、水中で安全に操作する方法を学んだ。
あとの世代の潜水艇乗りの必須知識となっているものなのであります。

今日、海中に全没したら3か月以上の間、浮上しないでいられると考えられています。
私が艇長をした原子力潜水艇では、このようなことはごくありきたりの行動でした。
(原潜の場合は浮上せずとも海中で電気分解によって酸素を得られる。これを気蓄する事が出来、潜りっぱなしが可能。
)

われわれが機器の安全性と信頼性の上に立ってこのようなことができるという事実は、これらを可能にした佐久間艇長のような先人たちの、勇気とお手本があったればこそなのであります。

この意味におきまして、私が佐久間艇長の勇気と職分意識と献身的責任感の驚嘆すべきお手本を、いくら高く賞讃してもし過ぎることはありません。

艇長と艇員の最後は必至、という最悪の事態において、艇長がとった処置行動は、単に潜水艇のみならず、世界中の危険な職業に勤務するすべての人々の規範として存続しているのであります。

日本では、佐久間艇長をはじめとするこれら国際的に認められている英雄たちを大きな誇りとしておられます。

皆さんが今後とも永く引続いて艇長を奉賛され、その卓越した模範的遺徳を顕彰されるよお祈りいたします。
どうもありがとうございました。
(以上Yahoo知恵袋より)

佐久間館長の遺言の一部出典:http://blogs.yahoo.co.jp
佐久間館長の遺言の冒頭部
出典:http://blogs.yahoo.co.jp

興味のある人は
( ´∀`)つ佐久間艇長の遺言全文(外部リンク)

潜水艦浮上システム
簡単に説明します。 

重要な装置としてバラストタンク気蓄機があります。

バラストタンク海水の出し入れを行うタンクで気蓄機空気を高圧で圧縮し蓄えておく高圧タンクです。
潜行する時はバラストタンクに海水を入れ艦の重量を増加させます。

浮上する時は気蓄機の空気をバラストタンクへ加え、海水を排水します。
すると艦の重量が軽くなり浮上します。

潜航浮上システム<br>出典:グモグモ店長のブログ
潜航浮上システム
出典:グモグモ店長のブログ

気蓄機の空気浮上時必ずメインエンジン等によって気蓄
破損などによって、予想以上に空気を漏洩してしまうと浮上できなくなる。
(昔だとこの場合、ほぼ助からない)

メインタンクブローとは
メインバラストタンク及びサブバラストタンクに気蓄機より空気を一気に流し込み海水を強制排水させ浮上する事を言います。

抜粋:http://ow.ly/LzVb8(wikipedia)より

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