【今日の歴史】1982年10月20日の事

【今日の歴史】1982年10月20日の事
ルジニキの惨事の慰霊碑
ルジニキの惨事の慰霊碑

ルジニキの惨事

ルジニキの惨事とは、1982年10月20日にソビエト連邦(後のロシア連邦)の首都モスクワにあるセントラル・レーニン・スタジアムで行われたUEFAカップ2回戦・スパルタク・モスクワ対HFCハールレム戦で発生した群集事故である。
この事故により66人のスパルタク・モスクワのサポーターが亡くなったが多くは若者であり、2000年代以降においてもロシアスポーツ史上最悪の惨事と呼ばれている。

概要
当日、スタジアムではUEFAカップ1982-83の2回戦、地元のサッカークラブであるスパルタクとオランダのHFCハーレムが試合を行われていた。
スパルタクがリードして迎えた終盤、観客が帰り始めた際に追加点が入ると大歓声が起き、驚いて戻ろうとする群衆と帰ろうとする群衆が交錯。
寒波のため階段が滑りやすい状況になっていたこともあり大規模な将棋倒しが発生、多数の死傷者が発生した。

当時のソビエト連邦では、事故や不祥事を公にしない方針を採っていたこともあり当初は死者数66人とする数字が公表発表されていたが、ミハイル・ゴルバチョフ政権によるグラスノスチ政策により情報統制が緩和されるようになった後、1989年に政府スポーツ委員会の新聞『ソビエトスポーツ』 (Sovetsky Sport) が死者340人と報じるなど340人以上とする推計がなされるようになった。

その後、レーニン・スタジアムは、ルジニキ・スタジアムに改称。
同スタジアムを本拠地とするスパルタクは、毎年10月20日前後に慰霊のためのイベントを実施している。

群集事故とは
無秩序な集団(人の集まり)によって発生する事故の形態である。
災害によって誘発されたパニックの際に発生しやすいことはよく知られるが、パニック状態ではないときに発生することもある。

過去の群集事故
1934年1月8日 – 京都駅跨線橋転倒事故 京都駅構内で海軍に入団する新兵を見送るために集まった人垣で将棋倒しが発生。死者77名、重軽傷者74名。

1954年1月2日 – 二重橋事件 皇居の一般参賀に訪れた人達の将棋倒しが発生。死者16名、重軽傷者65名。

1956年1月1日 – 彌彦神社事件 新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社で初詣客が殺到。死者124名、重軽傷者77名。

1960年3月2日 – 横浜歌謡ショー将棋倒し事故 神奈川県横浜市中区の横浜公園に在った横浜市立体育館で、ラジオ関東(現:ラジオ日本)主催の『歌謡曲ゴールデン・ヒット・ショー』公開録音の観覧に訪れた聴衆が開門と同時に殺到し、将棋倒しとなった。死者12名、負傷者14名。

1964年5月24日 – エスタディオ・ナシオナルの悲劇 ペルーの首都リマでサッカー東京オリンピック南アメリカ代表決定予選の試合中に判定結果から暴動が発生、鎮圧に警察が出動して観戦中の観客約4万5千人が逃げ惑う事態となり、300名以上が圧死、負傷者約500名。

2001年7月21日 – 明石花火大会歩道橋事故 兵庫県明石市の大蔵海岸で開催された花火大会の終了後に、帰路に着く人の列が歩道橋に集中し死者11名、重軽傷者247名。

2010年7月24日 -ラブパレード死傷事故 ドイツ デュースブルクで開催されていたラブパレードの入場口で人があふれて転倒者が生じ、圧迫によって21人が死亡、500人以上の負傷者を出す。

抜粋:http://ul.lc/536h(wikipedia)より

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