【今日の歴史】1865年12月24日の事【KKK】

【今日の歴史】1865年12月24日の事【KKK】
クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan、略称:KKK)
クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan、略称:KKK)

クー・クラックス・クラン設立

クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan、略称:KKK)とは、アメリカの秘密結社、白人至上主義団体。

概要
白人至上主義団体」とされるが、正確には北方人種を至上とし(ノルディック・イデオロギー)、主に黒人、アジア人、近年においてはヒスパニックなどの他人種の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。

マニフェスト・デスティニーを掲げ、プロテスタントのアングロ・サクソン人(WASP)などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一魂を持つ、神(エホバ)による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する。

名前の由来はギリシャ語の「kuklos(円環、集まりの意)」の転訛と英語の「clan(氏族、一族)」を変形させたものと言われる。

団員は「クークラクサー」、もしくは「クランズマン」と呼ばれた。

白装束で頭部全体を覆う三角白頭巾を被りつつデモ活動を行う集団として世間で認知されている。

歴史

起源
KKKは、南北戦争終結後の1865年12月24日に南部連合の奴隷商人であり退役軍人であった、ネイサン・ベッドフォード・フォレストによってテネシー州プラスキで設立された組織に端を発する。

この組織はフォレストと同じ南軍の退役軍人達で作られた「交遊会」で、最初から政治団体として結成された訳ではなかった。
だがフォレストが元奴隷商人であったことや、奴隷解放への反対論が重要な契機となった南北戦争で南軍側に属したことから差別的な人物であったのも事実であり、彼は仲間達と戦争終結後に自由を得た黒人達への反感を募らせていた。

彼らは黒人を、主人である白人が矯正する必要があると考えていた。

そんな時、フォレストの発案でKKKのメンバーはある「悪戯」を実行する。

それは白い布で作った装束を身にまとって黒人の居住区を練り歩くという、一種の嫌がらせであった。
当人らにとれば、軽いからかいとしての行動に過ぎなかったが、白人の復讐を恐れていた黒人達は白装束の集団に恐れをなして家の中に逃げこんでしまった。

これに味を占めたフォレストはこの示威行為を度々繰り返すようになり、評判を聞きつけた南部の人種主義者達がKKKへの加盟を望む動きが生まれ、民主党最右翼の人種差別過激派として保守的な白人の支持を集め始めていく。

1867年夏、KKKはナッシュビルで開催された大会の後に著しい成長を遂げ、この大会ではフォレストが「グランド・ウィザード(総司令。直訳では「大魔導士」)」として統轄している。

この当時のKKKには後に見られるような「反ユダヤ的」などの民族主義は無く、あくまで人種主義が思想の中核であった。
その為、南部陸軍軍医総監だったサイモン・バルークらユダヤ人のメンバーも存在していた。

最初の時点でのKKKは「黒人を懲らしめる」「躾け直す」という理屈で行動しており、必ずしも暴力行為を伴う訳ではないデモ活動などを基本としていた。

だが次第に過激化し始めた彼らは白装束で街を巡回し、彼らが独断で決めた時刻以外に外出する黒人を鞭で叩いたり、夜中に「ナイトライダー」と呼ばれる馬に乗った団員が現れ、脅迫、暴行を加えるようになった。

更にこれに批判的な白人までもが敵として暴力を振るわれ、投票権を行使しようとした黒人が殺害される事件まで発生する。

この様に、「当初の栄誉ある、また愛国的目的から外れ、大衆の安寧に貢献するよりも有害になっている」として、暴力的傾向が強まっていくKKKに嫌気が差したフォレスト1869年にクランの解散を宣言する。

だがメンバーの大半はその解散宣言に従わず活動を継続し、1871年には遂に政府から非合法のテロリスト集団と認定され、摘発が開始された。

しかし南部が復興する中で奴隷制こそは廃止されたが、変わって白人と黒人の「分離」という形式をとった実質的な差別法制(ジム・クロウ法)が南部各州の州法という形で制定され始め、最終的にかかる差別的法制を正当化する法理(「separate but equal」ドクトリン)が連邦最高裁で合憲とされた。

警察の摘発に加え、目的を失ったKKKはやがて自然に消滅した。

復活
20世紀初頭、「神のお告げ」を聞いた白人の伝道師ウィリアム・ジョセフ・シモンズ により「第2のKKK」が誕生する。

第2のKKKは「黒人を躾ける」とした以前のKKK以上に強硬的な過激派として活動し、その思想も従来の黒人差別のみならず有色人種全体の排撃を主張した。

人種主義に加えて民族主義や宗教色も強まり、セム人種ユダヤ系やムスリムも攻撃の対象としたKKKは白人貧困層の絶大な支持を集め、幾つかの州では少なからぬ政治的影響力を持つに至った。

他にカトリック教徒や共産主義者も攻撃対象とされた。

1923年にはオクラホマ州だけで2300件以上の暴行事件を起しており、放火や殺人が日常的に行われた。
暴力行為も凄惨の限りを尽くし、両手を攻撃、焼印を押すなど残虐さを極めた。

こうした動きに乗る形で伝統的にKKKの勢威が強かった南部の州のみならず中西部のテネシー州やオレゴン州、それにオクラホマ州ではKKKの構成員もしくはKKKに対して好意的な政治家らが州政府を支配するなど合法的な進出を果たし、インディアナ州ではKKKの構成員エドワード・L・ジャクソンが州知事にまでなっている。

一方ではこの当時影響力を有していたKKKを自己の選挙に利用するために擦り寄る者もおり、後の大統領ハリー・トルーマンもそのためにこの当時KKKに加入していた。

この当時(1925年頃)が KKK の絶頂期であり(構成員は600万以上)、1928年には構成員数万人を動員してワシントンD.C.でデモ行進を行った。

このデモ行進が皮肉にもKKKが行った最後の大規模な行動となる。

KKKの拡大に気を良くしたのか、アラバマ州などで一部の構成員がKKKが控えていた過激な活動を再開する。
離婚した女性に制裁を加えたり、人種の枠を超えて行動していた白人や黒人にリンチを加えたり、あまつさえ売春宿など「倫理的ではない」建物を襲撃するに及んで、州の保守エリート層から手痛い反撃を食らってしまう。

この反撃の結果、アラバマ州におけるKKKの構成員数は1930年には30000人程度まで低下する。

今までKKKを支持、もしくは容認していたアメリカの保守層もこれらの事件を機にKKKに対して距離を置くようになる。
そして、当時のKKK指導者が強姦と殺人で有罪判決を受けたことが決定打となり、「第2のKKK」は一気に崩壊する。

没落
KKKの没落は、1925年の3月15日に当時KKKの指導者的な立場にあったデビッド・カーチス・スティーブンソンが起こした事件が契機となっている。

当時この事件はかなりセンセーショナルなものであり、この事件に対する裁判の結果がKKK崩壊のきっかけとなった。
また、スティーブンソンが禁酒法賛成論者で、キリスト教的「女性らしさ」を支持すると公言していたことが逆風となった。

事件の経緯は以下の通りである。

犯人のスティーブンソンがインディアナ州の女性教師だったマーガレット・オーガスティン・オーバーホルツァーを拉致し、シカゴ行きの汽車に連れ込み(スティーブンソンは自分専用の貨車を持っていた)、無理やり酔わせ、強姦し、さらに全身を噛んだ。

インディアナポリスに戻った後、スティーブンソンは自分の家からオーバーホルツァーを解放した。

去り際に彼女は「必ず法があなたを裁くでしょう!」と言ったがそれに対してスティーブンソンは笑いながら「私が法律だよ」と言ったという。

帰宅後オーバーホルツァーは治療を受けたが、スティーブンソンに連れ回されていた間に自殺しようと飲んだ塩化水銀の影響で既に手遅れの状態であった。

彼女は死ぬ前(3月28日)にスティーブンソンを告発し、4月14日に腎不全により死去した。

しかし、仮に彼女が自殺を試みるために塩化水銀を飲み干していなくても、おそらく感染症で死んだだろうとも言われている。
後に彼女を診察した医師は、彼女の体を見て「まるで狼の群れに襲われたようだ」とコメントした。

彼女の証言を元にスティーブンソンは起訴される。
スティーブンソン(及び彼の弁護士)は、彼女の死は自殺であり自分とは関係ないと主張するが、司法は第2級殺人罪(アメリカで言う「計画的ではないが故意による殺人罪」)と認定、終身刑を宣告する。

この事件によるKKKのイメージ悪化で、インディアナ州の場合、1928年には18万人もいたメンバー数が1930年には4000人にまで激減する。

当時のインディアナ州知事はKKKのメンバーで、スティーブンソンが積極的に支持することによって当選できたエドワード・L・ジャクソンだった。
この事からスティーブンソンは特赦か減刑を期待していたとされるだが、ジャクソンはそれを拒否。
それに怒ったスティーブンソンは1927年にKKKから賄賂を受け取っていた州職員のリスト(ジャクソンを含む)を公表し、州職員の怒りを買った。

その結果、インディアナ州政府からKKK色は一掃される事になり、全国的な影響力は大きく低下した。
ジャクソン知事本人も前知事を買収しようとした容疑で訴追され、有罪にはならなかったものの「買収しようとしていたことは事実である」と認定された。

現在
世界恐慌時代には休眠状態だったが、第二次世界大戦(真珠湾攻撃)にアメリカ合衆国が参戦したことによって、黒人の兵士や労働者の地位向上が見られるようになり、戦後の公民権運動に繋がった。

そのことに危機感を覚えた者たちによって復活するが、かつての勢いは取り戻せなかった。

KKKの全国的な影響力は大幅に低下したものの、その後も形を変えて細々と生き長らえ、現在もなお幾つかの分派が活動を続けている。

現在存在する比較的規模の大きいKKK団体
Bayou Knights of the Ku Klux Klan-テキサス州、オクラホマ州、アーカンソー州、それにルイジアナ州などアメリカ南東部を拠点に活動するKKK
Church of the American Knights of the Ku Klux Klan
Imperial Klans of America
Knights of the White Kamelia
Knights of the Ku Klux Klan-現在アメリカに存在する最大のKKK団体だと自称している。

これ以外にも数多くの小規模なKKK系の団体が存在する。

2005年時点での推定では約3000人のメンバーが100~158あるKKK系の団体に所属していたとされる。
このうち2/3の団体が旧南部を拠点にしており、残りの1/3は中西部を拠点にしている。

アメリカのメディアでは未だにKKKとして統一団体のように紹介されるが厳密に言えばKKKの全国組織は前述のように1927年の時点で崩壊している。

現存するKKK系の団体に横のつながりはほとんどなく(組織によってはライバル意識すらある場合がある)、中央組織のようなものも存在しない。

しかし一方で、徹底した地下組織化による中央組織・連絡協議会的組織の温存の疑いや、点在する表面上の小組織の細胞組織化(アルカーイダ系各種テロ組織やネオナチ各種団体を例にとれば分かる通り、一部組織の違法活動発覚で組織全体が芋づる式に検挙される危険性の回避に役立つ)工作の疑いも持たれ続けている。

現在アメリカでは、オハイオ州などでImperial Klans of America(通称IKA)が活発に活動を行っているとされている。

Imperial Klans of America
Imperial Klans of America

直接の原因は2005年初頭に起きた黒人による白人女性のレイプ事件であるが、根底には近年になって急増したヒスパニック系の住人が英語をしゃべらずにスペイン語のみで会話を行っており、それを理解できない旧来の住人の不快感が鬱積したものとも言われる。

2006年2月20日付けのCNNニュース「Headline prime」の特集によると、IKAは現在若い世代に世代交代し(リーダーが20代)、KKKの主流として台頭していると言う。

活動の活発化のバックグラウンドとして、ここ5年でアメリカのヘイトクライム予備軍の数は600から800へと急増しているということを挙げていた。
それに伴い構成員の人数も2000年の3000人から8000人へと急増している。
同じく人種差別を行う事からナチスを模倣するようになってきている(敬礼方法が左手を開いて前に出す等)。

従来のKKKと異なる点は、破壊活動や暴力など違法行為を認めていない点である。
IKAの本部はケンタッキー州にあるが、全米各地に支部を設けている。

2007年、ユダヤ人団体「名誉毀損防止同盟(ADL)」は、「KKKの活動が再び活発化しており、南部以外の州にも勢力を伸ばしつつある、ネオナチ・グループと手を結んでいる」と警告する報告書を公表した。

名誉毀損防止同盟
名誉毀損防止同盟

KKKが移民問題や同性結婚、都市犯罪などを活用して、「驚くべき『復活』を経ている」と強調した。

ただしADLという組織に関しては、1968年に起きたミシシッピー州のADL職員の自宅爆破未遂事件が、ADLがKKKリーダーを買収して実行させた狂言テロであったことが「ロサンゼルス・タイムズ」のスクープで暴露されるなど、多くの虚偽や違法行為に抵触してきた人種至上主義団体であることに注意する必要がある。

近年ではイギリスにおいても派生団体が誕生した。しかし、イギリスにおけるKKKは非常に小さな運動にしかなっておらず、イギリス社会への影響力は小さいとされる。

抜粋:http://ul.lc/5977(wikipedia)より

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