自宅で死亡しているのが発見される
マリリン・モンロー
Marilyn Monroe
(1926年6月1日~1962年8月5日)
アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス出身の女優。
本名、ノーマ・ジーン・モーテンソン
Norma Jeane Mortenson
洗礼名、ノーマ・ジーン・ベイカー
Norma Jeane Baker
20世紀を代表するセックスシンボル
として広く認知されている。
身長166.4cm、体重53.5kg。
スリーサイズはB94 W61 H86。
トレードマークは、真っ赤に塗られた唇、口元のホクロ、モンロー・ウォークと呼ばれた独特な歩き方。
フェラガモに作らせた靴のサイズは、24.5cm。
ノルウェー人の血を引いているといわれるが、本当の髪の色はブロンドではなく褐色(ブルネット)であった。
モンローというステージネームは彼女の母親の姓である。
映画「ナイアガラ」のモンロー(1953年 20thCenturyFox)
出典:Wikimedia Commons(PD-US)Makakaaaa
概要
1962年8月5日、ロサンゼルス郊外のブレントウッドにある自宅の寝室で全裸で死んでいるところをメイドが発見した。
36歳没。
死の直後、マスコミでは
死因は睡眠薬の大量服用による急性バルビツール中毒で、自殺の模様。
と大々的に報道され、世界に多大な衝撃・悲嘆が駆け巡った。
まず、この報道がおかしい。
ドラッグ・オーバードースであるとの声もある上、
『女房は生きていた』の主役を降ろされたことを悲観して…
との根拠に欠ける仮説も唱えられたが、2000年代に入りFOXニュースが20世紀フォックスの倉庫から発見した資料によると、FOX首脳部との会談で、モンローとそりの合わなかった監督を降板させ、モンローを復帰させる契約が交わされていたことが分かった。
さらに、「何という行き方!」というミュージカル大作への出演も決まっており、
モンローが配給会社から見捨てられ、失意の中で死んでいった。
という仮説は成立しなくなることが分かった。
1980年前後以降は自殺説は影を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている。
謀殺説はモンローの死後間もない時期から存在していた。
現場からは自殺に使うはずのコップは発見されておらず、またモンローが遺体で発見されたとき、手には受話器が握られていたものの、FBIが押収したモンローが死亡した前日と死亡した夜の電話の通話記録には電話局からは同時刻の通話記録はなく、部屋からはモンローの日記(赤い手帳)が消えていた。
この時点で、作為的なものを感じないのはおかしい。
そのため電話の通話記録の改ざん・隠蔽を行うことができる政治力の持ち主がモンローの死に関わっていたとする主張がある。
ゲフンゲフン…。
急性バルビツール中毒による体の不調を受けて救急車を自ら呼ぶために受話器を取ったものの、ダイヤルする前にこと切れた。
という説もある。
なお、ケネディ大統領と1950年代より不倫関係にあったこと、さらにケネディ大統領の弟であり当時の司法長官だったロバートとも不倫関係にあったことが上記のように死後複数の証言から暴露された上に、お互いを紹介したのが、ケネディの大統領選挙の際の支援者でマフィアの大ボスのサム・ジアンカーナと関係の深いシナトラであったことや、これらの関係を知ったFBIのジョン・エドガー・フーヴァー長官が、ケネディとモンローのみならず、ケネディとマフィアの関係についても度々忠告していたことが、この謀殺説を後押ししている。
またこれらの不倫の事実が死後に公にならないように、モンローが常に会話の内容をメモしていた赤い手帳が表に出るのを避けるために謀殺後に密かに処分したという説もある。
Hollywood Walk of Fame star from 1960, photographed in 2011
出典:Wikimedia Commons(帰属:I, Sailko)
葬儀
葬儀はモンローの死の3日後、8月8日にハリウッドにあるウエストウッド教会にて執り行われた。
式はディマジオが取り仕切り、参列者は生前にモンローの世話などをしていたごく一部の関係者など約30名の小規模な葬儀であった。
マスコミは一切シャットアウトされ、ハリウッドの映画関係者は1名も呼ばれなかった。
その後、モンローの遺体は故郷へ運ばれた。
墓所は故郷ロサンゼルスのウエストウッド・メモリアルパークにある。
ちなみに、モンローを司法解剖した監察医は、トーマス野口こと野口恒富である。
ディマジオ
ディマジオは離婚後もモンローを一途に愛し、変わらぬ友情で彼女を支え続けた。
モンローの晩年は2人は多くの時間を過ごし、亡くなる数日前には2人が再婚の約束をしていたという双方の関係者からの複数証言が残っている。
そして、モンローの葬儀時には彼女の遺体を前に「愛している」と声をかけ続け、涙を流したと伝えられている。
ディマジオは自身が亡くなるまでモンローについてのコメントは控えた。
ある女性誌が、
貴方が話してくれたら5万ドル払うと言っている。
と尋ねられた時も、
世の中には金にかえられないものがある。
それは愛の思い出だ。
と即座に答えた。
ほんと、これ!
「愛はお金で買える。お金は愛では買えない」という人が近くにも居るが、比べる対象が根本から違う事を理解していない。
そして、愛は決してお金では買えない!
きっと、「本当の愛」を知らないのだろう。
ある意味可愛そうだ。
また、モンローの死後20年にわたって週3回、彼女の墓に赤いバラ(品種:アメリカン・ビューティー)を送り続けた。
これはディマジオの亡き後もファンクラブなどのボランティアの手で続けられている。
1978年のMLBオールスターゲームの日本向け衛星中継で一緒にマイクの前に並んだ伊東一雄は
マリリンほど素晴らしい女性はいなかった・・・
とディマジオがポツリと漏らしていたのを耳にしている。
1999年3月8日に肺がんで亡くなる数日前に友人に語った最期の言葉は
死んだら、マリリンのところへいける。
だった。
私も過去に大事な人を亡くしているので、コレはすごくよくわかる。
死への恐怖感よりも、近くに行けそうな安堵感が先に来るんだよね。
抜粋:http://ul.lc/4ufv (wikipedia)より
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