女性初ドーバー海峡の横断飛行
ハリエット・クインビー(Harriet Quimby)
1875年5月11日 – 1912年7月1日
アメリカ人女性パイロット、映画脚本作家である。
1911年にアメリカ航空クラブから操縦士ライセンスを取得した
最初の女性となった。
1912年4月16日にドーバー海峡の横断飛行に成功した
最初の女性となった。
略歴
ミシガン州Arcadiaに生まれた。
1900年代の初めに家族とともにサンフランシスコに移り、ジャーナリストになった。
1903年にニューヨークでLeslie’s Illustrated Weeklyの劇評家となり、9年間に250以上の記事を書いた。
1910年に飛行機に興味に持ち、ロングアイランドで行われたBelmont Park International Aviation Tournamentを観戦した時に、マチルデ・モアザンとジョン・モアザンの兄弟と親しくなった。
ジョン・モアザンは有名な飛行家で航空学校を経営していた。
1911年8月1日に試験を受け、パイロットのライセンスを得た最初のアメリカ人女性となった。
すぐ後にマチルデ・モアザンが2番目のライセンスを得た女性となった。
1911年には5編の映画脚本を書きBiograph Studiosでサイレント映画として撮影された。
D・W・グリフィスが監督し、Florence La Badie、 Wilfred Lucas、Blanche Sweetらのスターが出演した。
清涼飲料水のメーカー、ヴィン・フィズはスポンサーとなっていたパイロットのカルブレイス・ロジャースが事故死すると、クインビーを雇い、紫の飛行服を着せて広告に用いた。
1912年4月16日にカレーから60kmを飛行し、ドーバー海峡を横断した最初の女性パイロットとなったが、その前日に起こったタイタニック号の悲劇のためにメディアの注目を集めることは殆どなかった。
1912年7月1日、マサチューセッツ州のSquantumで開かれた、第3回ボストン航空大会で、主催者のウィリアム・ウィラードを同乗させた新品のブレリオ単葉機が原因不明の故障を起こし、飛行機から投げ出されて、2人は死亡した。
ドーバー海峡
イギリスとフランスを隔てるイギリス海峡の最狭部である。
フランスではカレー海峡(Pas de Calais)と呼ばれる。
イギリス海峡を広義の大西洋の一部とし「大西洋と北海の境」、あるいは、イギリス海峡の一部と考え「イギリス海峡の最狭部」ととらえることもある。
最狭部はケント州フォーランドからパ=ド=カレー県カレー。
34キロメートル。
呼称はイギリス側の都市、ドーバー市に由来する。
かつては唯一の海峡を渡る手段としてフェリーが利用されていたが、現在はフォークトン、カレー間に英仏海峡トンネルが開通している、国際高速列車ユーロスターもアッシュフォード乗り換えで利用できる。
名称は、IHO によれば、現在はドーバー海峡とカレー海峡の併記となっている。
地質
海峡の両側の英仏とも海底含め同じ岩石であるチョークで出来ており、海峡になる前の氷河期には地続きであったと考えられる。
これより北海側に存在した氷河との間に、ライン川やテムズ川から流れてきた水が湖を形成したが、何らかの作用で決壊し浸食した所が現在の海峡で、氷河期後に海面下に没したものと推定されている。
セブン・シスターズとは
イングランド南部イースト・サセックス州にある白亜系チョークからなる海食崖である。
イングランド南岸の都市シーフォードとイーストボーンの間に位置しており、イギリス海峡に面している。
(だが、ドーバー海峡ではない)
ドーバーの白い崖と同様に白亜系チョークからなる海食崖である。
(いつからここがドーバー海峡だと錯覚していたw)
ここの方が見応えはある。
自殺者の慰霊碑がそこかしこにあるが…。
豆知識
直線距離34kmというきわめて狭い海峡であるがゆえに遠泳のコースとしても有名であり、昔から世界中のスイマーの憧れの海となってきた。
ドーバー海峡横断泳の達成者は「チャネルスイマー」(Channel Swimmer)と呼ばれる。
日本人では1982年7月31日大貫(現姓増島)映子が9時間32分で泳いだ。
もう結構昔w、テレビ番組ウッチャンナンチャンのウリナリ!!の企画「ドーバー海峡横断部」で、内村光良、ウド鈴木、濱口優、堀部圭亮、神尾米、藤井貴彦の6人がリレーでの横断泳を達成し、チャネルスイマーとなった。
1906年にロンドンの新興紙デイリー・メールが宣伝目的で賞金1,000ポンドを掛けたことから、英仏海峡横断飛行の達成競争が熱を帯びた。
1909年7月25日、フランス人ルイ・ブレリオが自ら製作したブレリオ XIで、カレー市郊外からドーバー城下まで所要時間37分で初の横断に成功した。
その前週には、ユベール・ラタムがアントワネット IVを駆り同じコースで挑戦したが、エンジンが故障し洋上に不時着水している。
ブレリオの偉業を記念して、出発地はブレリオ海岸と命名された。
1785年1月7日、フランスのジャン=ピエール・ブランシャール(パラシュートの先駆者の1人でもある)はアメリカ人のジョン・ジェフリーズ(医師・船医)と共に水素気球で横断を試みた。
二人はイギリス側から出発したが海峡の中ほどでガス漏れを起こし高度が低下。
荷重物を次々に捨て、果てはゴンドラ、上着・ズボンまで捨ててロープにしがみつき、カレー近くの陸地まで辿り着いて横断を果たした。
工エエェェ(´д|゚∀゚)っ|`)ェェエエ工
航空距離38km、時間2時間47分。
その服装にも関わらずカレー市では空を飛んでドーバーを横断した最初の人間として大歓迎を受けたという。
一方、最初の有人飛行を記録したモンゴルフィエ式気球の飛行士ピラートル・ド・ロジェはこれにライバル意識を燃やし、新型気球による横断を企てた。
直径13mの水素気球の下に円筒の直径3mの熱気球を取り付けたもので、水素気球で浮遊力を保ち熱気球で高度の調節をすることを狙っていた。
これに対し水素気球の発明者ジャック・シャルルは「火薬の下で火を焚くようなものだ」と警告したが、ロジェは耳を貸さなかった。
1785年6月15日、ロジェは製作協力者のジュール・ローマンと共にフランス側から海峡横断行に出発したが、高度約400mの所で熱気球が発火、上の水素気球に誘爆して爆発事故を起こした。
ロジェは即死、ローマンも短時間で息を引き取る惨事となった。
これが人類最初の航空事故とされる。
BBC自動車番組トップ・ギアのSeries10 Episode3において、日産・ダットサントラックのD21型を改造した水陸両用車で、ロンドン郊外からドーバーまで一般道路を自走し、そのまま海峡の横断に成功している。
(この番組いつもバカであの3人も大好きだw)
グレートブリテン島(イギリスの国土の中心的な島)の古い呼び名は紀元前6世紀頃のカルタゴ人航海者の記録にある「アルビオン(ラテン語で白い国)」。
抜粋
http://tiny.cc/c8l3wx(wikipedia)
http://go.ascii.jp/dk-(wikipedia)より
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