【今日の歴史】628年4月10日の事【日本最古の日食】

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国宝第80号 日本書紀 神代上naver007.exblog.jpより
国宝第80号
日本書紀 神代上
ちなみに、ココには書いてないw
気になる人はデジタルライブラリーへ
naver007.exblog.jpより

日本の記録上最古の日食

628年4月10日(推古天皇36年3月2日)日本で記録に残っている
最古の日食。

『日本書紀』の推古36年3月の条に、
「三月丁未朔、戊申日有蝕尽之」
(三月の丁未の朔、戊申に日、蝕え尽きたること有り)
と記録されている。

全文は近代デジタルライブラリー[外部リンク]
『日本書紀巻二十二』(国史大系本第一巻)の205/300頁

「日、蝕え尽きたる」は、当時の都である飛鳥京で皆既食が見えたように思わせるが、実際は日本のすぐ南東沖を通過した皆既食で、当時の飛鳥京では食分0.93程度の部分食であった。

推古天皇は5日後の4月15日(3月7日)に死去している。

推測ではあるが、昔からこう言う大きな天体ショーがあった場合、心理的に前後の出来事を関連づけてしまうため、日食=凶事や彗星=凶事となったのかも知れない。と、勝手に思ってみたりする。

『日本書紀』とは
奈良時代に成立した日本の歴史書。

日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。

舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。
神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体をとる。

全三十巻からなり、系図一巻が付属したが失われた。

『古事記』と異なり、『日本書紀』にはその成立の経緯の記載がない。
しかし、後に成立した『続日本紀』の記述により成立の経緯を知ることができる。

次に文書によって記録されているものは、
975年8月10日(天延3年7月1日)皆既食

『日本紀略』

「天延三年七月一日辛未、(中略)、卯辰刻皆虧 如墨色無光 群鳥飛亂 衆星盡見 詔書大赦天下(以下略)」

天延三年七月一日辛未[975年8月10日]
卯辰の刻に皆虧[午前七時に皆既]
[太陽は]墨色の如くにて光無し。
鳥の群れ乱れ飛び、多くの星すべて見えたり。
天下に大赦を発布す。

と書かれており、他にもこの食を記録した文献は多い。

日本の首都で見られた史上初の皆既日食で、大事件であり、朝廷は天下に大赦を発布して、通常は対象にならない死刑囚まで罪を減じられている。

中心食は中国の重慶付近で始まり、中国地方から関東地方を通った。京都での食甚は7時48分(京都真太陽時)とされる。

日本紀略とは
平安時代に編纂された歴史書で、六国史の抜粋と、六国史以後後一条天皇までの歴史を記す。

範囲は神代から長元9年(1036年)まで。
編者不詳。漢文、編年体、全34巻。

成立時期11世紀後半から12世紀頃とされるが不明である。
編者もわからない。
本来の書名もはっきりしない。
『日本史紀略』、『日本史略』、『日本史類』とも呼ばれていた。

冒頭の神代に関する稿は、後代の挿入で、当初はなかったらしい。

日本書紀や日本記略についてはすごく面白いので、興味のある人は調べてみるといいと思います。
(深く探り始めるとキリがないですがw)

日食の種類
月と太陽視直径(見た目の直径)はほとんど同じであるが、月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円であるため、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化する。

月のみかけの大きさ(視直径)の違い。太陽の場合も地球が楕円軌道のためみかけの大きさは変わる。出典:観測所雑記帳より
月のみかけの大きさ
(視直径)の違い
太陽の場合も地球が楕円軌道のため
みかけの大きさは変わる。
出典:観測所雑記帳

月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を皆既日食(皆既食。total eclipse)という。

逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見え、これを金環日食(金環食。annular eclipse)と言う。

場合によっては月と太陽の視直径が食の経路の途中でまったく同じになるため、正午に中心食となる付近で皆既日食、経路の両端では金環日食になることがあり、これを金環皆既日食(金環皆既食。hybrid eclipse)と呼ぶが、頻度は少ない。
大体、
1/400です。
要するに、食が始まって、太陽ののまわりに輪が出来て(金環食)それが全くなくなって真っ黒になる(皆既食)それにまた輪ができて(金環食)ずれていって食が終わる。と書いているのだw

日食の種類出典:www.city.atsugi.kanagawa.jp
日食の種類
出典:www.city.atsugi.kanagawa.jp

イメージで言うと(注:イメージだから実際は違いますよ)上の写真では、太陽が欠けてくる(左)→太陽の周りに光のリングが出来る(右)→リングがなくなって真っ黒太陽(中央)→そしてまたリングが出来る(右)→そして食が終わっていく(左を反転)な感じですw
これも、楕円軌道のなせる技です!

既日食と金環日食および金環皆既日食を中心食と称する。

月と地球の公転軌道
月と地球の公転軌道

中心食では本影と金環食影が地球上に落ちて西から東に移動しその範囲内で中心食が見られ、そこから外れた地域では半影に入り太陽が部分的に隠される部分日食(部分食)が見られる。

半影だけが地球にかかって、地上のどこからも部分食しか見られないこともある(下図の一番下の図)。

皆既日食、金環日食、部分日食の違い図の外側の左側に外側デッカイ太陽が有ると思って見て下さい出典:www.city.himeji.lg.jp
皆既日食、金環日食、部分日食の違い
図の外側の左側に外側デッカイ太陽が
有ると思って見て下さい
出典:www.city.himeji.lg.jp

また日の出の際に太陽が欠けた状態で上る場合を特に日出帯食、逆に欠けた状態で日の入りを迎える場合を日入帯食(日没帯食)と呼ぶ。

神話に登場する日食
日食や月食は古代から凶事として恐れられていた。

特に太陽はすべての生命の根源であり、世界を明るく照らす重要な天体である事は古くから認識されていたので、その太陽が変形、時には全く見えなくなる日食は重大な天変として人々に関心を持たれて来た。

近代天文学が確立する以前多くの文明で日食や月食を説明する神話が長い間語り継がれてきた。

これらの神話の多くでは、日月食は複数の神秘的な力の間の対立や争いによって起こるとされた。

例えばヒンドゥー教の神話では食が起こる月の昇交点がラーフ(Rahu)、降交点がケートゥ(Ketu)という2人の魔神として擬人化されこの二神の働きによって食が起こると考えられた。
月の交点に関しては黄道と白道を説明しなくては・・・。
ココからは神話なので。。。ググれw
調べないと自分の知識にならないっす。
ならなくても良いなら、このままでいいかと・・・w

この二神が象徴する二交点は後に古代中国で羅睺星・計斗星の名で七曜に付け加えられ、九曜の一員を成している。

七曜は知ってるよね?FF10の伝説の武器?w 
七曜(しちよう)とは、肉眼で見える惑星を五行と対応させた火星・水星・木星・金星・土星と、太陽・月(陰陽)を合わせた7つの天体のことで、曜日の元だね。
ちなみに、九曜、くようと読むんだけど、古代インドでは実在すると考えられた天体でさっき書いた羅睺(らごう)と計都(けいと)が七曜に加えられている。(下の写真資料)
左から日~土にラーフ(羅睺)とケートゥ(計都)

九曜像(大英博物館蔵)左からスーリヤ、チャンドラ、マンガラ、ブダ、ブリハスパティ、シュクラ、シャニ、ラーフ、ケートゥ出典:wikipedia.org
九曜像(大英博物館蔵)
左からスーリヤ、チャンドラ、マンガラ、ブダ、ブリハスパティ
シュクラ、シャニ、ラーフ、ケートゥ
出典:wikipedia.org

バイキングたちの伝承を記した『スノッリのエッダ』ではスコルと呼ばれる狼が太陽を常に追いかけており、狼が太陽に追いつくと日食になるという記述がある。
そして、世界の終わりの日に狼はついに太陽を完全に飲み込んでしまうという。

計算上は、邪馬台国の時期に日本列島で日食が2回起きた可能性がある。

卑弥呼が死んだとされる247年と248年である。
(。´・д・)エッ
2回死んだの?w

国立天文台の谷川清隆・相馬充らは、
「特定された日食は『日本書紀』推古天皇36年3月2日(628年4月10日)が最古であり、それより以前は途中の文献がないため地球の自転速度低下により特定できない」
としている。

抜粋
http://ow.ly/LnjgH(wikipedia)
http://ow.ly/Lnjnv(wikipedia)より

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