
ポール・モーリア生誕日
フランスの作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト、チェンバロ奏者。
特に日本では「ラブ・サウンドの王様」と呼ばれ、イージーリスニング界の第一人者として有名。
経歴
フランス南部マルセイユで郵便局員の父ヴィクトール、母クローディアとの間に4人兄弟の末っ子として1925年3月4日に生まれる。
6歳でアマチュア音楽家でもあった父親からピアノを習い、10歳でマルセイユ地方音楽院に入学。
ソルフェージュ(1939年)とピアノ(1940年)をともに首席で修了して1941年に卒業。
その後、アマチュアジャズバンドを経て、1943年にマルセイユのダンスホール「ブラッスリー・ラ・クーポール」専属オーケストラでピアニスト兼アレンジャーとしてプロ・デビューし、翌年には同楽団の指揮者を兼任する。
1948年、ギタリストのマルセル・ビアンキが率いるオーケストラに創設メンバーとして加入、同年12月から9ヶ月間に亘るエジプト・ツアーに参加する。
1951年にパリ進出。
近郊のダンスホールで演奏していたフランク・プゥルセル楽団にピアニストとして参加するが、翌年帰郷し、同7月28日にイレーヌ・ボボと結婚。
ダンスホール「ル・ヴァンピング」でのオーケストラ活動が評判となり、1957年にRGMレーベルからレコードデビュー。
1959年に再度パリへ進出し、音楽プロデューサーであるレオ・ミシールに誘われてバークレー傘下で新進アーティストを扱う新興レーベル「BEL AIR」に移籍。
また、多忙となったプゥルセルに代わってグロリア・ラッソのためにポール・フェルサンの変名を使って編曲・伴奏する一方、シャルル・アズナヴールに対して120曲を超えるアレンジを提供。
1960年12月のアランブラ劇場公演などでオーケストラの指揮をとる。
さらに、ミレイユ・マチューのデビュー曲『愛の信条』を作曲し、専任オーケストレーターとして1966年9月のオランピア劇場公演などで指揮をとり、フランシス・レイらとともに全米プロモーションツアーにも同行している。
このほか、モーリス・シュヴァリエの新作レコーディングを機に、同じバークレー社の同僚であったレイモン・ルフェーヴルと1962年から3年間に亘って仕事を共にしている。
1965年、BEL AIRレーベルとの契約満了の後に、ポール・モーリア・グランド・オーケストラ (LE GRAND ORCHESTRE DE PAUL MAURIAT) としてフィリップスレコードと契約。
1968年に「恋はみずいろ」が全米ヒットチャートで連続5週トップを記録したのを機に世界的にヒット(約500万枚)、RIAAゴールドディスク、ACCディスク大賞などを受賞する。
この年、モーリアは全米でのプロモーションのために単身渡米し、テレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』などに出演。
1969年以降、北米を中心にコンサート・ツアーを開催するが、オーケストラ・メンバーに対するフランス人奏者の人数制限やプロモーターに対する不信などから、3度目となる1971年を最後に全米ツアーを打ち切る。
「恋はみずいろ」以降も、フランス語圏や英語圏のヒット・ポップスや映画音楽を中心にレコーディングを続けるが、1970年代半ばから1980年代前半にかけてブラジル音楽に傾倒。
1977年にはアシスタントのジェラール・ガンビュスらとリオデジャネイロに渡り、現地ミュージシャンを起用したアルバム『夜明けのカーニバル/ポール・モーリア・ラブ・サウンズの熱い風』を制作。
また1978年には自らフュージョンをコンセプトとしたアルバムを企画、ニューヨーク・パワーステーション・スタジオでウィル・リー、ランディー・ブレッカー、マイケル・ブレッカー等を起用したオリジナル・アルバム『オーバーシーズ・コール/ポール・モーリア・イン・ニューヨーク』を制作する。
さらに、1980年代半ばにはクラシック音楽を取り上げたアルバムを3年連続で制作、原題を『CLASSICS IN THE AIR 』に統一したシリーズ作品として発表、日本でも『愛の夢/ポール・モーリア・クラシック・ヒッツ』(1985年)、『G線上のアリア/ポール・モーリア・クラシック・ヒッツ』(1986年)、『プリマヴェーラの微笑〜ポール・モーリア・クラシック・アヴェニュー』(1987年)として発表されている。

パンフレット
1992年、フランス文化省より芸術文化勲章「オフィシエ・デ・ザール」を、1997年には同「コマンドゥール・デ・ザール」を受賞しているほか、生前の最終公演地となった大阪市ではコンサートに先立ってモーリア夫妻を市役所に招いて大阪市名誉市民に任命、併せて「大阪市の鍵」が贈呈されている。
1993年、所属していたフィリップスの本国担当者との対立からポニーキャニオンへ移籍。
翌年リリースされた『CHAGE & ASKA コレクション/ポール・モーリア』を皮切りに、契約期間4年の間に7枚のアルバムを制作する。
2000年、サンスターCM曲として1982年にモーリアが作曲しながらスタジオ録音が実現しなかった「私は風が好き」を含む4曲をプライベート録音、2003年の来日コンサート会場および発売元のプロモーター「ミュージックリーグ」の通信販売限定でリリース。
これがモーリアの最終レコーディングと目されている。
2006年10月末、フランス南部ペルピニャンの別荘に滞在中、体調不良を訴え検査入院したところ、急性白血病であることが判明。
同年11月3日午前1時、急性白血病による心不全のためペルピニャンの病院で逝去。
6日に火葬に付された。
モーリア死去の報道に伴い、同11月6日のJFN系のFMラジオ番組『JET STREAM』や同12月17日放送のTBSラジオのラジオ番組『バックグラウンド・ミュージック』などで追悼特別番組が放送された。
2009年11月、ジャン=ジャック・ジュスタフレ指揮ポール・モーリア・メモリアル・オーケストラによる追悼コンサートが日本および大韓民国で開催された。
同公演につき、未亡人は「日本のファンとプロモーターに対する特別の配慮で実現させたものであり、故人の遺志によりモーリアの死とともにオーケストラは消滅した」と後日コメントしている。
日本において
1965年12月に他アーティストのシングル盤B面収録曲として「夜のメロディー」が初めて発表され、翌年5月に発売された『超ステレオ! 「魅惑のヨーロッパ・トップ・ヒッツ」』、『赤いサラファン/永遠なるロシア〜ポール・モーリア・ストリングス・ムード』の2アルバム以降、1990年代はじめまで概ね年間2〜3枚のペースでコンスタントに新作アルバムを発表。
シングル盤でも「恋はみずいろ」(1968年)、「蒼いノクターン」(1969年)、「エーゲ海の真珠」(1971年)、「涙のトッカータ」(1973年)、「オリーブの首飾り」(1975年)など立て続けにヒットを重ねた。
とりわけ「オリーブの首飾り」のヒット効果は大きく、ベストアルバムとして発売された『ポール・モーリア・グレイテスト・ヒッツ18』が1976年度のオリコン年間アルバムチャート21位に、『ポール・モーリア・グレイテスト・ヒッツ24』が1977年度の同11位に記録されている。
それ以前にもモーリア版「ヘイ・ジュード」がテレビドラマ『おふくろの味』のテーマ曲に起用されたのをはじめとして、1986年の開始以来現在まで放送が続いているTBSラジオ『大沢悠里のゆうゆうワイド』のテーマ曲として親しまれている「はてしなき願い」など、CMや天気予報、ラジオ番組などのテーマ曲やBGMなどに多岐に渡ってモーリアの演奏作品が使用されている。
『大沢悠里のゆうゆうワイド』(おおさわゆうり)とは
1986年4月7日からTBSラジオで放送中の生ワイド番組である。大沢悠里の冠番組。
親日家として知られ、1976年に国内11都市の印象を綴ったオリジナルアルバム『ポール・モーリア/ラブ・サウンズ・ジャーニー』を発表。
1979年にはFM情報誌の読者投票で選ばれたニューミュージック楽曲のカバー企画を、ジャケットデザインに森英恵を起用したアルバム『愛のメッセージ/ポール・モーリア』として制作する。
池田満寿夫監督の日伊合作映画『窓からローマが見える』の音楽を担当。
高田恭子の「あじさいいろの日々」(1974年)の編曲・伴奏録音。
来生たかおのアルバム『LABYRINTH』の編曲・プロデュースなどを手がけている。
また、モーリアの自作曲を
真木ゆうこ(「さよならの街角」1973年・原曲は「ただ一度だけ」)
来栖あんな(「私がふたりいる」1975年・、原曲は「見知らぬ人」)
高橋キヨシ(「湖に消えた恋」1976年・)
坂本スミ子(「オー・ラ・ラ・オーサカ」1977年)らがカバーする例も見られた。
1995年の阪神・淡路大震災の際には「カルテット・フォー・神戸」を作曲し、フランク・プゥルセル(バイオリン)、フランシス・レイ(アコーディオン)、レイモン・ルフェーブル(フルート)との4人で「ザ・フォー・フレンチメン」名義で録音、同曲が収録されたチャリティーアルバムを制作するなどの活動が知られている。
さらに、1978年4月から同年末まで東海ラジオ放送の制作で自らの音楽観を中心に語る番組「ポール・モーリアの世界」が放送された。
メルシャンワイン、UCCコーヒーなどのCMにも自ら出演、ダイハツから発売された乗用車のCMにはモーリアの自作曲「シャレードの休日」が使用されている。
1969年に初来日して以来、1970年・1978年を除いて1986年まで毎年、その後、1988年・1990年・1996年・1997年・1998年と来日し約870回の公演を開催。
1990年のコンサートツアーをもって一度はステージ活動を休止するが、パリでカテリーナ・ヴァレンテとのジョイントコンサートが企画されたことが直接の引き金となって急遽1996年1月末より約2週間に渡る来日公演が実現、同年11月には1〜2月に開催できなかった都市を中心とした公演を改めて開催した。
1997年には公演直前になってモーリアが体調を崩して来日が遅れ、最初の3公演はジェラール・ガンビュスの実弟であるジル・ガンビュスが指揮することとなった。
このことが1998年のジャパンツアーを「さよならコンサート」としたことに大きく影響したと見られており、同年11月29日の大阪フェスティバルホール公演を以って自身のオーケストラの公演活動での指揮を退いている。
2000年以降はモーリア自身は同行しないものの構成・演出および編曲などを担当する形で公演活動を再開、ジル・ガンビュス(2000年、2002年、2003年、2004年)、ジャン=ジャック・ジュスタフレ(2005年、2009年)を指揮者として行われた。
なお、公式ライブアルバムは全て日本国内で録音された。
代表曲
カッコ内は原題。
蒼いノクターン
(Nocturne)
モーリアの自作曲で、1970年代半ばまでは来日コンサートのアンコール曲として演奏されることが多かった。
初レコーディングは1966年だが、日本では1969年にアルバム『輝く星座/ポール・モーリアの世界の詩情』で発表、同時にシングルカットされた。
1973年と1996年のライブアルバムに収録されたほか、オーケストラによるスタジオ録音では、1988年・1994年にもレコーディングされている。
愛の信条
(Mon Credo)
ミレイユ・マチューのデビュー曲として提供されたモーリアの作品。
自身のオーケストラ・バージョンは当初、1967年3月1日に発売されたアルバム『ポール・モーリア/ワールド・トップ・ヒッツ』に『私の信条』として収録される予定であったが、急遽別曲と差し替えられたため、国内盤では1980年発売のカセット・テープ特別企画『ポール・モーリア/フランスの詩情』に収録されるまでは発表されることがなかった。
その後も国内発売レコード盤では発表される機会がなかったが、1990年来日記念盤『ポール・モーリアCDコレクション/ポール・モーリアⅡ 涙のトッカータ〜エーゲ海の真珠/ラヴ・サウンド・コレクションⅡ』で漸くCD収録が実現している。
恋はみずいろ
(L’amour Est Bleu “Love Is Blue”)
アンドレ・ポップ作曲。
ヴィッキーが歌った1967年度ユーロビジョン・ソング・コンテスト4位入賞曲。
モーリアが取り上げ、1968年2月10日付から同年3月9日付ビルボード・ホット100で5週連続1位の大ヒットとなり、世界的に有名になった。
日本ではアルバム『パリのあやつり人形/ヨーロッパ・トップ・ヒッツ』より1967年10月1日にシングルカットされ、オリコンチャート最高18位、約12万枚のセールスを記録している。
1976年にディスコ・アレンジでリリースした「ラブ・イズ・スティル・ブルー〜恋はみずいろ’77」のほか、オリジナル・アレンジでも1982年・1988年・1994年・2000年に新録音テイクを発表している。
なお、1967年8月25日には森山良子が日本語カバー盤を、モーリアと同じフィリップス・レーベルよりシングル・リリースしている。
口笛の鳴る丘
(Siffler Sur La Colline “Uno Tranquillo”)
ジョー・ダッサン1969年のヒット曲だが、アルバム『裸足のイサドラ/ポール・モーリア』で発表されたモーリアの演奏が『玉置宏の笑顔でこんにちは』(ニッポン放送)“晴れ晴れリクエスト”でテーマ曲としても使用された。
ポール・モーリアのR&B
(Etude En Forme De Rhythm & Blues “Etude In The Form Of Rhythm & Blues”)
1969年の全米ツアーのオープニングテーマをモチーフに1970年の訪米中に完成させたとモーリアが後に述懐、「ポール・モーリアのテーマ」の曲名でも知られる。
来日公演でも1970年代半ばまではオープニング曲としても使用された。
1987年には同一モチーフによる「愛のエチュード」(Etude In The New Form)が発表されている。
なお、1973年来日公演の実況録音から「蒼いノクターン」とのカップリングで1978年にシングルカットされている。
エーゲ海の真珠
(Penelope “L’eternel Retour”)
スペインのアウグスト・アルグエロ作曲で、本来はメキシコ向けの録音。
日本では1970年12月20日にシングル盤で発売され、オリコンチャート最高40位・約7.5万枚のレコードセールスを記録している。
このテイクではダニエル・リカーリが中間部のスキャットを担当していた。
ファッションブランド「ROPE(ロペ)」やメルシャンワインのCM曲、TBSラジオ『林美雄のパックインミュージック』第2部エンディングなどにも使用された。
公式ライブ・レコーディングでは必ず取り上げられたほか、1976年にディスコ・バージョンが発表され、1988年・1994年には1983年以降の来日ステージでの演奏に準じたアレンジのスタジオ録音が発表されている。
なお、1977年に有馬三恵子の作詞による日本語カバー盤がローレン中野のボーカルにより発表されている。
想い出のランデブー
(Rendez-Vous Au Lavandou)
1958年にダリダの歌唱でヒットしたモーリアの自作曲。
1972年にアルバム『想い出に生きる/ポール・モーリア・フレンチ・トップ・ヒッツ』で発表されたモーリアの演奏版が、日本テレビ「あすの全国の天気」で1980年から10年間に亘りBGMとして使用された。
涙のトッカータ
(Toccata)
フランスの音楽家ガストン・ローランの作曲。
モーリアは1951年、フランク・プゥルセル楽団のピアニストとしての採用オーディションで初見演奏している。
その後、引退音楽家のための高齢者施設に住むローランからレコーディング許諾を得て1973年に発表した。
日本ではアルバム『ラスト・タンゴ・イン・パリ〜天使のセレナード/ポール・モーリア』より1973年7月25日にシングルカットされ、オリコンチャート最高63位・約6.6万枚を記録、1980年代までの来日ステージではモーリア自らピアノを演奏した。
1973年・1982年・1998年の各ライブアルバムに収録されたほか、1988年・1994年にも新録音テイクが発表されている。
また、1973年10月にはロンドン・レコードより槇岡婦喜子が日本語カバー盤をシングル・リリースしている。
天使のセレナード
(La Chanson Pour Anna)
もともとはウクレレ奏者ハーブ・オオタのためにアンドレ・ポップが書き下ろした作品だが、1973年に前掲『ラスト・タンゴ・イン・パリ〜天使のセレナード/ポール・モーリア』で取り上げて以降はモーリアの人気ナンバーとなり、シングルカットもされている。
NHKの音楽番組『世界の音楽』のテーマ曲としても使用された。
1988年にも再録音テイクが発表されている。
白い渚のアダージョ
(Le Piano Sur La Vague)
1974年にアルバム『パピヨン〜追憶〜メロディ・レディ/ポール・モーリア』で発表されたモーリア自作曲。
のち1983年にアメリカ映画『オータム・ストーリー』のエンディングテーマ曲として使用され、「オータム・ストーリーのテーマ」と改題されたシングル盤も発売された。
1988年・1996年の2度に亘って再録音されている。
オリーブの首飾り
(El Bimbo)
クロード・モルガン作曲で、オリジナルはビンボー・ジェットが演奏した「嘆きのビンボー」。
1975年1月25日に発売されたシングル盤(SFL-2001)はオリコンチャート最高61位にとどまるものの、モーリアの演奏シングル盤としては最も多い約12.7万枚を売り上げている。
本曲発表後の各種ライブアルバムに収録されたほか、1988年・1994年にも新録音テイクが発表された。
1970年代後半からの来日公演では、観客の手拍子をバックにオーケストラ・メンバーを紹介してフィナーレを飾る定番ナンバーとしても演奏された。
1976年には本人出演でオンエアされたメルシャンワインのCM曲に使用されたほか、日本テレビ系列の深夜番組『11PM』のコーナーBGMに使用されるなど日本での人気は高い。
現在も手品のバックミュージックとしても知られている。
なお、日本語カバーとして「ゆうわく」のタイトルでローレン中野&和田弘とマヒナ・スターズが発表しているほか、1989年11月には石井明美が従前の邦題でシングル・リリースしている。
薔薇色のメヌエット
(Minuetto)
モーリアの自作曲。
1975年に発表されたアルバム『巴里にひとり/リリー・マルレーン ポール・モーリア』では「ミニュエット」と表記されていたが、シングルカットを機に邦題が改められた。
1988年に新録音されたバージョンがTBSテレビのドラマ『女の言い分』のテーマ曲に使用され、CDシングルとして発売されたほか、1994年にも新たにレコーディングされている。
恋のシャリオ
(I Will Follow Him “Chariot”)
リトル・ペギー・マーチの1963年全米ヒットナンバーであり、「愛のシャリオ」、「夢の幌馬車」の邦題でも知られる。
モーリアが「デル・ローマ」の変名を用いて、「J.W.ストール」を名乗ったフランク・プゥルセルとの共作で発表していたことが、1976年に初収録されたアルバム『ラブ・イズ・スティル・ブルー/ポール・モーリア・ディスコ・センセイション』のリリースを機に公表された。
「ラブ・イズ・スティル・ブルー〜恋はみずいろ’77」とのカップリングでシングルカットもされており、1994年と2000年にもアレンジを変えて再録音している。
後年、映画『天使にラブ・ソングを…』で主題歌として用いられた。
そよ風のメヌエット (Petite Melodie)モーリア自身の作曲。
1977年春に自ら出演したメルシャンワインCMのオリジナル曲として、アルバム『愛の讃歌/ポール・モーリア・ニュー・ワールド・トップ・ヒッツ’77』で発表、CMの放送開始に合わせてシングルカットされた。
星空のプロムナード
(Pulstar)
オリジナルはヴァンゲリスの「パルスター」。
1977年の来日公演で初演され、翌年春発売のアルバム『星空のプロムナード ポール・モーリア・トップ・ヒッツ’78』に収録、シングル盤も同時発売された。
後に、1996年冬の来日公演オープニングで新アレンジで演奏されたほか、モーリア引退後の来日公演でも演奏された。
渚のプレリュード
(Prelude 59)
1973年から1982年までモーリアのブレインだったジェラール・ガンビュスとモーリアの共作曲。
オリジナルファッションブランド「ブルー・シーガル」のテーマ曲として、1981年に発表されたアルバム『ポール・モーリアと再会』に収録され、同時にシングルカットされた。
1981・1982・1988各年度来日公演のオープニング曲として使用されたほか、メドレーに組み込まれてコンサート第一部ラストに使用されることもあった。
なお、原題の「59」はモーリアの自宅兼オフィスの所在地に由来している。
愛のカフェテラス
(Hot On The Scent “Ai No Cafe Terrase”)
1982年にアルバム『愛のカフェテラス〜ポール・モーリア/マジック』で発表、シングルカットが「恋はみずいろ’83」とのカップリングで発売された、モーリア自作によるUCCコーヒーCM使用曲。
夫人のイレーヌ・モーリアが作詞したが、ボーカル盤としては発表されなかったとされている。
なお、同社CMには以後も「愛のかおり」、「天使のメヌエット」、「哀しみのショパン」などの作品が使用され、引き続き自身も出演した。
BOWSコンサートでアンコール前に、観客がモーリアへ花束を贈る間に演奏される曲。
第二部オープニングに使用されることもあった。
複数のバージョンがあり、「ポール・モーリアのR&B」をモチーフとしたもの(1973年ライブアルバムに収録、但しクレジットされていない)、「シャレードの休日」をモチーフとしたもの、「OPENING ’85」をモチーフとしたもの(1990年ライブアルバム以降に収録されたものは全て本バージョン)などが演奏された。
豆知識
愛妻家として知られ、初来日に先立って確認された契約内容の中で、日本側のプロモーターから夫人の同伴に関して質されたのに対して「認めなければ訪日しない」と回答。
以後、1998年まで常に夫人を同伴して来日公演を開催した。
モーリア自身のピアノソロ演奏による「蒼いノクターン」、「涙のトッカータ」を収録した非売品シングル盤が1977年に制作された。
同盤はその後、1990年にオーケストラ結成25周年を記念して発売されたCD全集の全巻購入特典としてCD復刻された。
1989年3月29日、フジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオDELUXE』に衛星中継でパリから出演し、「恋はみずいろ」と「オリーブの首飾り」をメドレーで演奏。
これが事実上の初演となって、翌’90年から’98年のさよなら公演まで常に2曲セットで演奏された。
日本テレビ系バラエティー番組『進め!電波少年』の企画により、松本明子がアポイントなしでモーリアを訪れて作曲を懇願、ノーギャラで「ネコなんだもん」(原案・松村邦洋、作詞・ジェームス三木)が作曲された。
但し松本バージョンは異なるアレンジで収録されている。
モーリア自身も児童合唱団を起用して録音、1994年に『ポール・モーリア/スーパー・ベスト・コレクション』で発表している。
1999年、マジシャンのマギー司郎が日本テレビ『あの人は今!?』でセーヌ川に停泊中の豪華客船内を訪ねた際、モーリアは船内でオーケストラを編成してCD音源に重ねて演奏し、マギーのために「オリーブの首飾り」を指揮した。
2001年12月28日に放送されたBS2の番組『懐かしのフレンチ・ポップス大全集』でモーリア本人が登場し、マルセイユの音楽院などを訪れる映像が撮影されている。
2002年、フランスの音楽ライターであるセルジュ・エライクがモーリアの半生を1年に亘って取材、「Une vie en bleu – PAUL MAURIAT 」として出版。
日本では2005年に著者自身による再編集版が翻訳され、2008年に出版されている。
フィリップス在籍時代に発売された国内盤オリジナル・アルバムの内、CD発売されていなかった1986年までの作品の大半が紙ジャケットで復刻され、『JAPANESE ORIGINAL ALBUM COLLECTION』として2004年に2BOX・20枚、2007年に2BOX・22枚が限定発売された。
2013年、プロ・デビュー70周年を記念した国内盤CDがポニーキャニオンとユニバーサルから相次いで企画され、特に後者では新たに発見されたモーリア自身の歌唱によるデモ音源が収録されたほか、インターネットでのファン投票を中心に選曲された。
アウトドア・スポーツとしてペタンクを愛好していたことがFM雑誌などで数多く取り上げられており、前記別荘滞在時に仲間とともに興じている姿が映像として残されているほか、公演の合間にゲームを楽しんでいる様子も来日コンサートの中継番組の中で紹介されている。
槇原敬之はテレビ番組『ミュージック・ポートレイト』で、クラシック音楽を愛好する叔父に連れられる形で数回にわたって来日公演に接しており、彼の音楽の原点がモーリアであると語っている。
森村誠一は小説「ステレオ殺人事件」や『鉄筋の畜舎』の中に、モーリアの作品を登場させている。
抜粋:http://ul.lc/5e9b(wikipedia)より
ポール・モーリア【普通書籍】ポール・モーリア【ミュージック】
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