バレーボールが考案された日
バレーボール(英: volleyball、英語発音: [ˈvɑliˌbɔːl] )は、ネット越しにボールを打ち合う球技である。
1チーム6人、または9人で行われる。
9人制は主に「ママさんバレー」として日本では行われているが、世界的には普及しておらず、国際試合は6人制で行われている。
6人制では1セット25点(5セットマッチ/5セット目は15点まで)で行われる。
日本語や漢字圏では排球(はいきゅう)と訳されている。
考案者と歴史
バレーボールは、テニスをヒントに、女性や子供が気軽に楽しめるレクリエーションとして1895年2月9日、アメリカ合衆国でウィリアム・G・モーガンによって考案された。
このころのルールは非常に単純で、試合に集まった人たちを同じ数の2チームに分けて、ボールを打ち合い、ボールを落としたほうが負けというものであった。
1896年、モーガンはこの新ゲームをスプリングフィールドで開催されたYMCA体育指導者会議の際に公開した。
モーガンは当初このゲームをミントネット(Mintonette)と名付けたが、後にハルステッド(YMCAトレーニングスクール教官)の提案を受け、名称をバレー・ボール(volley ball)に改めた。
1952年に現在のようにバレーボール(volleyball)と一語で表すようになった。
バレーボールは各地に点在するYMCAを通じてアメリカ全土に広まっていき、1900年にカナダ、1906年にキューバに紹介された。
日本にバレーボールが紹介されたのは1913年のことで、YMCA体育主事のF.H.ブラウンによってもたらされた。
この頃はまだしっかりとルールが出来上がっていなかったので、日本において独自にルールが作られていった。
チームの人数は最初は16人であったが、12人に変わり、続いて9人となり現在の9人制バレーボールに近いものが出来上がった。
ヨーロッパにバレーボールが紹介されたのは1920年ごろで、第1次世界大戦で渡欧したアメリカ軍兵士によってフランスからイタリア、チェコスロバキア、ポーランド、ソビエトへと普及していった。
このころにはチームの人数も6人と決まっており、すでに現在の6人制バレーボールに近いものが出来上がっていた。
ソビエトでは1925年にロシア共産党の中央委員会が『100万人のバレーボール』のスローガンを掲げソ連バレーボール協会を設立し、本格的にバレーボールの発展に取り組んだ。
バレーボールは世界各国のYMCAを通じて国際的に普及し、1924年パリ五輪ではアメリカのスポーツとして紹介された。
1947年には国際バレーボール連盟が結成され、アメリカ式のルールを修正し国際ルールが出来上がった。
1949年に第1回バレーボール世界選手権(男子)がチェコスロバキアで行われた。
日本が国際バレーボール連盟に加盟したのは1951年であった。
当時、日本のバレーボールの主流は9人制であり、国際試合で使われる6人制バレーボールはまだよく知られていなかった。
1950年代に入ると東欧諸国ではソビエトの高さとパワーに対抗するために技術開発が進められるようになった。
特にチェコスロバキアは次々と新しい技術の開発に着手し、速攻、フェイント、ブロックアウトなどの戦術を編み出した。
1952年には女子の第1回バレーボール世界選手権がソビエトで行われた。
1953年に日本で6人制が採用された。
1964年東京五輪からバレーボールが正式種目に加わった。
コンビネーション・バレーが確立されたのはこのころからで、回転レシーブ、時間差攻撃など日本独特の技術が編み出された。
日本では協調性を養うスポーツとして、中学校・高校の体育で扱うことが多く、一般的に定着した。
そして、2012年ロンドンオリンピックで28年ぶりのメダル。
決定戦の模様はオリンピック公式チャンネル(外部リンク)で観る事ができます。
類似スポーツ
ファウストボール
バレーボールの前身とも言われる。
キンボール
4人制。直径122cm、重さ1kgの巨大なボールを使用。
ボサボール
3-5人制。トランポリンを使用。
他にもインディアカは、ネットを介したラリー競技で、素手で行うノーバウンドルールという共通点がある。
羽根のついたボールを使用し、4人制など、相違点もある。
抜粋:http://ul.lc/5c7s(wikipedia)より