【今日の歴史】1879年8月21日の事【聖母マリア出現!】

【今日の歴史】1879年8月21日の事【聖母マリア出現!】

クノックで聖母マリアが人々の前に現れる

教会の屋根の下に、聖母・聖ヨセフ・聖ヨハネが出現したのを15人が目撃
教会の屋根の下に、聖母・聖ヨセフ・聖ヨハネが出現したのを15人が目撃

クノック(アイルランド語: An Cnoc、英語: Knock ノック)はアイルランドのメイヨー州にある小さな町で、1879年8月21日に聖ヨセフ及び聖ヨハネ、そして聖母マリアが人々の前に現れたという伝承で知られる。
20世紀にはルルドやファティマと並んでヨーロッパにおける聖母マリアゆかりの地として多くの巡礼者を集めることになった。現在でも毎年150万人もの巡礼者がこの地を訪れる。聖母マリアへの強い信心を持っていたローマ教皇ヨハネ・パウロ2世も1979年に公式訪問している。

ポルトガル・コインブラカルメル修道会の聖母マリア様の御像
ポルトガル・コインブラカルメル修道会の聖母マリア様の御像

【カトリック教会における聖母マリア】
カトリック教会における聖母マリアの呼び名としては、他に「無原罪の御宿り」(この呼び方はルルドの奇跡にも登場する)や、Maris Stella(ラテン語:マリス・ステラ=海の星)などがある。
なお、日本のカトリック教会では「マリ」と呼んだり表記されることはない。

カトリック教会公認の出現
イタリア・ローマ:子供がいないと嘆いていた裕福な夫妻の夢に聖母が現れ、雪で示す場所に教会を建てるよう勧めた。教皇も同じ日に同じ夢を見た。
現在の雪の聖母教会は、非常に暑い8月に雪に覆われていた場所に建てられた。この話は1250年頃にトレントのフラ・バルトロメオによって記述されたものであり、御出現の正確な年代は分かっていない。
イスラエル・カルメル山の聖母:1251年、スカプラリオによる救霊・危険からの保護・平和と永遠の約束。
メキシコ・グアダルペの聖母:1531年、インディオに出現。先住民を弾圧から救済。
フランス・サンテチエンヌ・ル・ロ:1664年から1718年の54年間にわたりブノワット・ランキュレルに出現。1665年に教区司教認可。2008年教皇庁より公認、21世紀初の認可となる。
フランス・不思議のメダイ:1830年、カトリーヌ・ラブレに出現、メダイを身につける人への聖母の保護を約束。
フランス・ラ・サレットの聖母:1846年9月19日、一人の美しい婦人がアルプスの標高1800mの高地の牧場に出現し牧童二人に泣きながら語った。それは来るべき飢饉への警告だった。
フランス・ルルドの聖母:1858年2月11日、14歳の少女ベルナデッタ・スビルーの目の前に現れた。病者への癒しと慰め。
フランス・ポンマン:1871年、間近に迫った敵軍の撤退、戦争終結と徴兵された子供たちの生還の予告。
アイルランド・クノック1879年、教会の屋根の下に、聖母・聖ヨセフ・聖ヨハネが出現したのを15人が目撃。
ポルトガル・ファティマの聖母:1917年5月13日、一次大戦の終焉と二次大戦の勃発、人々の回心への要求と地獄の実在、などを預言。またロシアの奉献の必要性を訴える。1930年、レイリア司教が公認。教皇庁認可。
ベルギー・ボーラン:1932〜32年。
ベルギー・バンヌ:1933年、病者への癒しと慰め。
イタリア・シラクサの涙の聖母像:1953年、病者への励ましと慰め。

カトリック教会未公認の出現
フランス各地:900年代にフランス各地に聖母が幾度か出現。滅びないようにと人々に回心と祈りを呼びかけ、人々は仕事もそこそこに聖母の教え通り祈りに祈って祈り続けた。1000年を過ぎてしばらくすると、人々は今度は何事もなかったことについてあらためて聖母に感謝の祈りを捧げている。
日本・仙台:聖母像に助命を懇願した子供の救命。
ベトナム・ラ・ヴァン:1798年、迫害を受けた信者を守った。
日本・津和野:1867年、拷問を受けている信者に語りかけ、励ました。教区司教が認可。 ドイツ:1937年、ロザリオを祈るよう求めた。
オランダ・アムステルダム:1945年〜、核戦争による人類滅亡を防ぐよう警告、罪の償いを求めた。2002年、教区司教が認可。
スペイン・ガラバンダルの聖母:1961年6月18日〜1965年、大天罰の警告が四人の少女によって預言された。全世界と司祭の回心を求められた。
エジプト・カイロのコプト派教会:鳩や十字架や幼いイエスとともに100回程出現。コプト派教会公認 。
日本・秋田の聖母:1973年、アムステルダムの聖母像をモデルに作られた聖母像から涙、回心を警告。1984年、教区司教が書簡で「奇跡としての超自然性を否定できないので、ローマ聖座より最終判定が示されるまで教区信者の巡礼を禁じない」と発表し、1988年に教皇庁のヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(のちの教皇ベネディクト16世)が受理。その後、教皇庁による公式声明はない。
ルワンダ・キベホ教会:1980年代の紛争直前に出現、信者を励ました。
アメリカ・カリフォルニア州:2005年12月、サクラメント市内のベトナム系カトリック教会の聖母像から血の涙。

出現の意向は、「苦難を受けている人々への励まし」「救命」「救霊」「警告」に区分される。

カトリック教会が否定する出現
アメリカ・ニューヨークベイサイド リトル・ペブル:実現しない過激な予言や司祭の貞潔・一夫一婦制の否定により、否定される。
ボスニア・ヘルツェゴビナ・メジュゴリエの聖母:1981年〜、回心と平和を求めた。聖母は「これが私の最後の出現です」と伝えた。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争などの旧ユーゴスラビア解体に伴う戦争の中での「出現」。これに対し、現地モスタル司教区のザニチ司教、ならびに後任のラトゥコ・ペリッチ司教はその超自然性を否定し、公的な巡礼禁止の声明を出している。

【聖公会における聖母マリア】
聖公会には神の母としての特別な位置付けを聖母マリアに対して認める見解が存在する。聖公会の教会堂、および聖公会関連の施設には「聖母」の名を冠したものが多数存在する。

【プロテスタントにおけるマリア】
プロテスタント教会では、マリアを全く尊敬しないというわけではないが、カトリック教会や正教会のように特別視しないことが多い。
それは、マリアがパウロやヨハネ等と同じ普通の人間で特別な意味がなく、人間イエスの母親という役割であっただけと理解されているからである。

【正教会における生神女マリヤ】
一般に「日本正教会では聖母マリアという表現は用いられない」と言われるが、厳密には正しくない。
聖堂名や出版物に「聖母」の語が用いられているケースは戦前・終戦直後の時期までは、僅かながら散見された。ただし、現在の日本正教会では日常的には聖母の語が用いられることは皆無であり、出版物での表記は「生神女」の呼称が最も多用されている。
祈祷書では、「生神女」「神の母」「永貞童女」「童女」「童貞女」が多用される。
「聖母」をあまり用いない理由としては、

亜使徒聖ニコライの訳を尊重すべきである。 ##教会における「聖なる母」は1人ではない(例は多数あるが、例えば生神女の母アンナも聖人であり、「神の祖母」と正教会では呼ばれる)。
イイスス・ハリストス(イエス・キリスト)の母マリヤの称号「Θεοτόκος」:「神の母」は第三全地公会議での確認事項であり、これを尊重して精確な訳語を用いるべきである。 海外正教会でも「Theotokos」(セオトコス:生神女)・「the Virgin Mary」(童女マリヤ)と呼ばれており、「Holy Mother」(聖母)とは、まず呼ばれておらず、全正教会の標準的呼称に則るべきである。

等が挙げられている。
本節では生神女マリヤを基本的に用いることとする(※日本正教会では、カトリックとは対照的に「マリ」ではなく「マリ」と表記する)。

正教会でも生神女マリヤが現れたと伝えられる聖人伝などはある。「だが、特に「聖母の出現」といった概念整理は行われていないらしい(不明)。」

抜粋:http://ul.lc/4vr4(wikipedia)より

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