【今日の歴史】1926年12月3日の事【謎の失踪】

【今日の歴史】1926年12月3日の事【謎の失踪】
アガサ・クリスティー
アガサ・クリスティー

アガサ・クリスティー謎の11日間

アガサ・メアリ・クラリッサ・クリスティ(Dame Agatha Mary Clarissa Christie, DBE、旧姓: ミラー (Miller)、1890年9月15日 – 1976年1月12日)は、イギリス生まれの推理作家である。
発表された推理小説は世界的なベストセラーとなり「ミステリーの女王」と呼ばれた。
英国推理作家のクラブであるディテクションクラブの第4代会長。
メアリ・ウェストマコット (Mary Westmacott) 名の小説が6作品ある。

失踪事件
アガサ・クリスティ失踪事件とは、ロンドン近郊の田園都市サニングデールに住んでいたアガサ・クリスティ(当時36歳)が1926年12月3日、自宅をでたまま行方不明となった事件を指す。

これが推理小説の歴史に名を残す大事件、すなわち Agatha Eleven Missing である。
事件は11日後に保養地のホテルに別人名義で宿泊していた彼女が家族の確認の上で保護されることで決着した。

なぜ失踪したのかについては諸説あり伝記作家もこの件については筆を大きく割いているが自伝では事件について触れていない。
しかしこの事件の結果としてマスコミに喰いものにされたアガサが心に傷を負った点、そしてこれ以降のアガサの内面世界は徐々に変化を見せた点は諸子一致している。

特にメアリ・ウェストマコット名義で書いた小説群は女性の孤独、愛することの傲慢さ、残酷さが見事に表現されて多くの女性の読者を集め、中でも奇跡的な容姿を備え家族にも恵まれた女性がたどる内面の旅を描いた『春にして君を離れ』(早川書房、中村妙子訳)は日本を含めた世界でロングセラーとなっている。

事件に戻ると、当時のアガサはロンドンの金融街で働いていた年下の夫のアーチー、一人娘のロザリンド(当時7歳)と田舎の大邸宅で暮らしていた。アーチーは休日はゴルフに熱中しているが、妻はゴルフはせず家事はメイドを雇い、仕事に関しては秘書のシャーロットを住まわせていた。シャーロットはアガサの信頼を得て長く彼女の側で勤めることになる。

キャリアにおいては『アクロイド殺し』(1926年)によりベストセラー作家の仲間入りを果たす一方で事件の前には最愛の母親を亡くし、また夫には別に恋人がいた事実にアガサは傷つけられていた。

事件の起きた日、アガサは住み込みのメイドに行き先を告げずに外出する旨を伝え、当時は珍しかった自動車を自ら運転して一人で出かけている。
その際に彼女は秘書のシャーロットと夫に手紙を残している。

なお、この失踪事件を題材に独自の解釈でアガサをめぐる人間模様を描いた映画『アガサ 愛の失踪事件』が1979年に公開された。

略歴
1890年9月15日 イギリスの保養地デヴォンシャーのトーキーにて、フレデリック・アルヴァ・ミラーと妻クララの次女、アガサ・メアリ・クラリッサ・ミラーとして生まれる。
正規の学校教育は受けず母親から教育を受ける。

1901年 父が死去。この頃から詩や短編小説を投稿し始める。
ちなみに、詩や小説を書くことになった理由は、インフルエンザにかかり、読む本がなかったからだという。

1909年 自身初の長編小説『砂漠の雪』を書き、作家イーデン・フィルポッツの指導を受ける。

1914年 アーチボルド・クリスティ大尉と結婚。
第一次世界大戦中には薬剤師の助手として勤務し、そこで毒薬の知識を得る。

1919年 娘ロザリンドが誕生。

1920年 数々の出版社で不採用にされたのち、ようやく『スタイルズ荘の怪事件』を出版、ミステリ作家としてデビューする。

1926年アクロイド殺し』を発表。
大胆なトリックと意外な真犯人をめぐって、フェアかアンフェアかの大論争がミステリファンの間で起き、一躍有名に。
また、母が死去する。
この年アガサは謎の失踪事件を起こす。

1928年 アーチボルドと離婚。
アーチボルドは愛人と再婚。

1930年 中東に旅行した折に、14歳年下の考古学者のマックス・マローワン(1904年5月6日 – 1978年8月19日)と出会い、9月11日再婚する。

この結婚について「クリスティはなぜ彼と結婚したかと問われて『だって考古学者なら、古いものほど価値を見出してくれるから』と答えた」という逸話がある。
一説によると誰かが流した心ないジョークで、クリスティは作者を殺してやるといきまいていたとも言われるが(早川ミステリの解説より)、孫のマシュー・プリチャードはクリスティ自身が冗談めかしてこのように語ったとしている(「オリエント急行殺人事件」DVD特典インタビューより)

1943年カーテン』および『スリーピングマーダー』を執筆。
死後出版の契約を結ぶ。

1952年 書下ろしの戯曲『The Mousetrap』の世界最長ロングラン公演(1952年11月25日 – )始まる。

1955年 MWA賞巨匠賞 受賞。

1956年 大英勲章第三位 (CBE) 叙勲。

1971年 大英勲章第二位 (DBE) 叙勲。

1973年運命の裏木戸』を発表。
最後に執筆されたミステリ作品となる。

1975年カーテン』の発表を許可する。

1976年1月12日 高齢のため風邪をこじらせ静養先のイギリス、ウォリングフォードの自宅で死去。
死後『スリーピングマーダー』が発表される。
遺骸は、イギリスのチョルシーにあるセント・メアリ教会の墓地に埋葬された。

2009年には「犬のボール」など未発表短編2篇が発見され、創作ノート『アガサ・クリスティの秘密ノート(上・下)』とともに公刊された。

抜粋:http://ul.lc/57ps(wikipedia)より
スリーピング・マーダー/アガサ・クリスティー/綾川梓
スタイルズ荘の怪事件/アガサ・クリスティー/矢沢聖子
【訳あり】アガサ/愛の失踪事件【リユースDVD】【中古】【日本初DVD化!】
アクロイド殺し/アガサ・クリスティー/羽田詩津子
カーテン ポアロ最後の事件/アガサ・クリスティー/田口俊樹
ねずみとりThe Mousetrap
アガサ・クリスティーの秘密ノート(上)(ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)
アガサ・クリスティーの秘密ノート(下)(ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

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