【今日の歴史】1973年8月23日の事【ストックホルム症候群】

【今日の歴史】1973年8月23日の事【ストックホルム症候群】

【ストックホルム症候群の由来】

ノルマルム広場強盗事件発生!

1973年8月23日、刑務所から仮釈放中だったヤン=エリック・オルソンは、サブマシンガンで武装し、ストックホルム中心部のノルマルムス広場にあったクレジットバンケン(信用銀行)に押し入った。

ストックホルム症候群という呼称の由来となる、ノルマルム広場強盗事件発生!
ストックホルム症候群という呼称の由来となる、ノルマルム広場強盗事件発生!

オルソンは、事件直後に駆けつけた警官に発砲し、ひとりの手に軽傷を負わせた。オルソンは当初は9人の銀行員を人質に取り、その後の警察との交渉でうち同日のうちに5人を解放したが、女性3人、男性1人の銀行員を人質として拘束して、銀行内に立てこもった。
オルソンは、300万クローネの現金と、オルソンの友人で1966年に起こした銀行強盗の罪で服役中だったクラーク・オロフソン の解放、そして逃走を認めることを要求した。
オロフソンは、16歳の時から、武装強盗や暴行など何度も犯罪に関わっていた、「スウェーデン史上、最も有名な銀行強盗」とされる人物である。警察はこの要求を呑み、現金を提供し、オロフソンをオルソンに合流させた。
また、交渉の結果、逃走用の車が提供されることとなったが、逃走しようとするとしても人質を連れて行くことは許さないということになる。

8月25日、警察側は、警察は犯人たちが人質たちとともに立てこもっていた金庫室を封鎖し、食料の提供要求を拒んだ。

8月27日、警察は犯人や人質たちのいる金庫室の天井に穴を開けて、武器を捨てて投降しなければ「最後の手段を取る」などと、説得を試みた。
オロフソンはこの穴に向かって2度発砲し、2回目のときにひとりの警官の手と顔を負傷させた。同日、オルソンはオロフ・パルメ首相に電話し、安全に脱出させなければ人質を即座に殺すと脅迫した。
翌日、再び首相に電話が入った。この電話は人質のクリスティン・エンマーク からで、首相の強硬な姿勢に自分は不満であり、犯人たちとともに人質たちを現場から去らせてほしいと訴えるものだった。
人質たちは、オルソンに脅迫されながらも、警察に対して敵対することも、人質同士の間で敵対することもなかった。

8月28日夜、警察は催涙ガスを使用する強硬策をとり、ガスの注入に気づいた犯人ふたりは自ら金庫外に出てきたところを逮捕された。
人質は誰も、大きな負傷をしなかった。
事件解決直後には、パルメ首相も現場へ駆けつけた。

事件後オルソンは懲役10年の判決を受けた。

オルソンは1980年に出所し、自動車販売の仕事に就いて社会復帰した。
ところが、その後オルソンは、ある経済犯罪の疑いでスウェーデン当局から追われ、10年にわたる逃亡生活を続けた後、2006年に自ら出頭したが、その時点で嫌疑は既に晴れていた。その間、オルソンは、タイに15年間居住し、タイ人女性と結婚している。
2009年には、オルソンの自伝『Stockholms-syndromet(ストックホルム・シンドローム)』 がスウェーデンで出版された。
オロフソンは、その後も犯罪を重ねた。

事件の特異性
この銀行強盗人質立てこもり事件において、人質解放後の捜査で、犯人が寝ている間に人質が警察に銃を向けるなど、人質が犯人に協力して警察に敵対する行動を取っていたことが判明した。
また、解放後も人質が犯人をかばい警察に非協力的な証言を行ったほか、1人の人質が犯人に愛の告白をし結婚する事態になったことなど。

この問題を調査したOchberg博士は、FBIとイギリス警察に、次のような報告を行った。
「人は、突然に事件に巻き込まれて、人質となる。そして、死ぬかもしれないと覚悟する。犯人の許可が無ければ、飲食も、トイレも、会話もできない状態になる。犯人から食べ物をもらったり、トイレに行く許可をもらったりする。そして、犯人の小さな親切に対して、感謝の念が生じる。犯人に対して、好意的な印象を持つようになる。犯人も、人質に対する見方を変える。」

犯人と人質が閉鎖空間で長時間非日常的体験を共有したことにより高いレベルで共感し、犯人達の心情や事件を起こさざるを得ない理由を聞くとそれに同情したりして、人質が犯人に信頼や愛情を感じるようになる。
また「警察が突入すれば人質は全員殺害する」となれば、人質は警察が突入すると身の危険が生じるので突入を望まない。ゆえに人質を保護する側にある警察を敵視する心理に陥る。このような恐怖で支配された状況においては、犯人に対して反抗や嫌悪で対応するより、協力・信頼・好意で対応するほうが生存確率が高くなるため起こる心理的反応が原因と説明される。

上述のように、ストックホルム症候群は恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理操作(セルフ・マインドコントロール)であるため、通常は、人質解放後には、犯人に対する好意は憎悪へと変化する。

オーストリア少女監禁事件の被害者ナターシャ・カンプッシュは、2010年のガーディアンのインタビューで次のように述べている。
「被害者に、ストックホルム症候群という病名を付けることには反対する。これは病気ではなく、特殊な状況に陥った時の合理的な判断に由来する状態である。自分を誘拐した犯人の主張に、自分を適合させるのは、むしろ当然である。共感やコミュニケーションを行って、犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは、病気ではなく、生き残るための当然の戦略である」。

このような特異性のある事件は他にも起こっている。
パトリシア・ハースト事件 1974年に、犯行グループによって誘拐された女性が、後にその犯行グループと共に銀行強盗の一味に加わっていたという事件。
エリザベス・スマート誘拐事件
オーストリア少女監禁事件
よど号ハイジャック事件 ある乗客は、「北帰行」を歌って犯人を激励した。また、別の乗客は飛行機を降りる時に「頑張って下さい」と言って犯人を激励した。乗客と犯人には、奇妙な連帯感があった。
三菱銀行人質事件
福島悪魔払い殺人事件

リマ症候群
リマ症候群は、ストックホルム症候群とは逆に、監禁者が被監禁者に親近感を持って攻撃的態度が和らぐ現象のこと。
被監禁者がストックホルム症候群になっている状況下で、監禁者が被監禁者よりも人数が極端に少なく、かつ被監禁者に比して監禁者の生活や学識・教養のレベルが極端に低い場合に起こるとされる。

1996年から1997年にかけて発生した在ペルー日本大使公邸占拠事件では、教育も十分に受けずに育った若いゲリラ達は人質と生活を共にするにつれ、室内にあった本などを通じて異国の文化や環境に興味を示すようになり、日本語の勉強を始めた者が出てきた。
ペルー軍特殊部隊が強行突入をする中、人質部屋で管理を任されていた1人の若いゲリラ兵は軽機関銃の引き金に指をかけていたが、人質への親近感から引き金を引くことができずに部屋を飛び出し、直後にペルー軍特殊部隊に射殺された。

豆知識
スウェーデンの犯罪事件としては、テレビで生中継された最初の事例となった

事件から40周年を迎えた2013年8月23日には、事件に関わった人々へのインタビューが新聞に載り、テレビもこの事件のことを取り上げた。

私の尊敬すべき人の誕生日でもあるw

ストックホルム症候群を題材にした作品
映画『狼たちの午後』(1975年)
映画『完全なる飼育』シリーズ (第1作目がオススメ)
映画『スペーストラベラーズ』(2000年日本)
映画『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』(1999年)
漫画『ゴルゴ13』 – 第415話「人質HOSTAGE」
小説『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』(2004年)

抜粋:http://ul.lc/4vxz(wikipedia)より

完全なる飼育 [DVD] 中古価格
¥4,890から
(2014/8/23 00:23時点)

歴史的な事件カテゴリの最新記事

Verified by MonsterInsights