【今日の歴史】1961年7月30日の事【モスラ誕生!!】

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東宝三大怪獣の1つ怪獣映画『モスラ』が公開
東宝三大怪獣の1つ
怪獣映画『モスラ』が公開
バンダイ(1984)

怪獣映画『モスラ』が公開

『モスラ』
1961年(昭和36年)7月30日
公開された東宝製作の怪獣映画
およびそれに登場する架空の怪獣の名前
日本初の「東宝スコープ」(ワイド・スクリーン)
の怪獣映画である。

概要
東宝ゴジララドン続く怪獣キャラクターとして注力した、構想3年、製作費2億円(当時)、製作延日数200日をかけた日米合作の大作特撮映画。

昭和35年の2億円を平成26年で換算すると、5.45倍なので、約10億9千万円になりますねw

本作で初めて登場した怪獣モスラは、その後も多くの作品で活躍し、先出の二怪獣と並び“東宝三大怪獣”と称される。

プロデューサーの田中友幸によると、本作の企画原案は、制作の半年ほど前に森岩雄から

怪獣が暴れまわる映画も結構だけど、女性も観られる怪獣映画というのはどうだろう。
すごく可愛らしい美人を出すんだよ。

と持ちかけられたのがきっかけという。

ここから「小美人」の設定が生まれ、田中は文芸員だった椎野英之のつてで中村真一郎を紹介され、中村と福永武彦堀田善衛の三者に原作を依頼

こうして公開に先駆けて週刊朝日で『発光妖精とモスラ』が掲載された。

田中は本作『ゴジラ』『空の大怪獣ラドン』と並んで「出来のいい怪獣映画」と自負している。

本作は7月30日封切り公開日になっても、合成カットに不本意なものがあった特技監督の円谷英二は、特撮シーンの編集を行っており、フィルムの差し替えがあったとのことで、中野昭慶は当時、渋谷東宝(モスラが暴れる舞台である)へ赴いて、2回目の上映前にフィルムを切って差し替えを行っている。

60年安保闘争の翌年の作品で、当初世界同時公開が予定されていたこともあり、ロリシカ(ロシア+アメリカのアナグラム。原作では「ロシリカ」)として描かれた米国との関係や、サンフランシスコ講和条約で日本が独立を回復したはずであるにもかかわらず、外国人の犯罪捜査や出入国管理が相変わらず在日米軍主導で行なわれていること、モスラがわざわざ横田基地を通ることなど、当時の日本の政治状況を反映した描写が目立つ。

また、当時の宣材パンフレットには、フェミニズムや先住民問題がテーマとして掲げられている。

当初、モスラが国会議事堂に繭を作り、その周りをデモ隊(安保闘争のニュース映像を利用)が囲むというバージョンが考えられたが、田中友幸の「独立プロみたいだ」の一言で没になったという。

国会議事堂に繭を作るという構想は、1992年に公開された『ゴジラvsモスラ』で映像化されている。

豆知識
1998年には「モスラ」の内容を忠実に再現した「再現戯曲シリーズ1」サウンドドラマが制作された。
1961年版映画には無いシーンも含まれるが、小美人の台詞だけは映画と完全に同じである。

ネルソンの最期のシーンでは、警官が射殺したネルソンの利き腕を踏み、懐をあらためる非常にリアリティーのある演出が見られるが、本多

人間は銃弾くらいでは簡単には死なない!

という、自身の出征経験を踏まえての演出であることをコメントしている。

ちなみに、同時上映は『アワモリ君売出す』。
(個人的に凄く気になるw)

『モスラ対ゴジラ』 – 本作の直接の続編。

『ゴジラvsモスラ』 – 原作小説にある、モスラが繭を作る描写がこの作品で使われている。

『ゴジラ×メカゴジラ』 – 本作と直接つながっており、劇中で本作の映像が使われている。また、本作の原子熱線砲がメーサー兵器の原型になったことが語られている。

『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』 – 上記の作品の続編で、中條信一が再登場している。

『アワモリ君乾杯!』 – 同年製作の坂本九主演映画
劇中で大型のモスラ幼虫の造形物が東宝撮影所が写るシーンに登場する。
劇中では「モスラ始動スイッチ」を入れると動き出した。
またこの作品には、本作で主演したフランキー堺も出演している。

『ウルトラマン』第6話に登場したゲスラは、当初は「ゲラン蜂の幼虫が巨大化する」という設定であり、特撮用にはモスラ(幼虫)を改造して使用する予定で、それを前提としたデザイン画が存在している。

本来はコロムビア映画との契約アメリカの場面を入れるようになっていた本作であるが、東宝側は予算の都合等を理由に一方的にラストを変更

小美人を連れて南九州、高千穂峰まで逃げていたネルソン一行がモスラの追撃に遭い、そこでネルソンが死んで大団円となる。

というものに変更された。

監督の本多もこの変更に疑問を持ったものの、2週間にわたっての鹿児島ロケを敢行、撮影を完了させた。

しかし当然ながらコロンビア映画はこれを契約違反として抗議、準備稿にあった羽化した成虫モスラがロリシカ本国を襲撃する現行バージョンに差し戻され、再び撮影が行われた。

ニューカーク市の景観カットは、東宝にあったアメリカ・カリフォルニアのライブラリーフィルムを使用し、本編及び特撮シーンの撮影が急遽行われた。

特撮スタッフは急な変更にも関わらず、大規模なニューカーク市の都市ミニチュア群を制作し、モスラの風圧でショーウィンドウを破って店内に車両が突っ込むなど、見応えのある特撮カットでこれに応えている。

スタッフすげ~!

有川貞昌は、このモスラがニューカークで暴れ狂う描写に、

急に予定を変えられて、あれはオヤジ(円谷)もやけくその気分だったんじゃないかなあ。

と述懐していて、本多猪四郎

あれは円谷監督の怒りだよ、怒り!

とコメントしている。

このような経緯により公開時のポスターでは、出演部分がカットされた堤康久が「樵」役としてクレジットされたままになっている。

ラストでモスラを誘導するニューカーク市の空港は、本多によると立川基地で撮影されたという。

当初、市の名前ニュー・ワゴンシティだったが変更されることになり、当時監督助手だった針生宏ニューアークがいいんじゃないかと提案したところ、アメリカに実在する都市の名前であるというジェリー伊藤からの指摘により、ニューカークに訂正した。

抜粋:http://ul.lc/4tvp(wikipedia)より

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