【今日の歴史】1921年7月21日の事【メリーランド】

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戦艦 メリーランド
戦艦 メリーランド

戦艦「メリーランド」が就役

メリーランド
(USS Maryland, BB-46)
アメリカ海軍の戦艦
コロラド級の2番艦
同級では唯一ワシントン海軍軍縮条約までに竣工
艦名はアメリカ合衆国7番目の州にちなむ
その名を持つ艦としては3隻目

概要
メリーランド1917年4月24日にバージニア州ニューポート・ニューズのニューポート・ニューズ造船所で起工

1920年3月20日、E・ブルック・リー夫人(メリーランド州監査役の妻)によって命名、進水

1921年7月21日に初代艦長C・F・プレストン大佐の指揮下就役した。

真珠湾攻撃の際には、内側に係留されていたために魚雷攻撃はうけず、数発の爆弾の直撃を受けたのみであり、損傷は軽微であった。

太平洋戦争の末期、日本海軍が戦艦「大和」を旗艦とする沖縄上陸作戦、菊水作戦が実施された際、メリーランドは、モートン・デヨ少将の第54任務部隊に所属していた。

レイモンド・スプルーアンス大将デヨは「大和」に対する、恐らくはこの戦争における最後の艦隊決戦を望んでいた上に、第54任務部隊に加わっている大勢の士官たちもまた「大和」との対決を望んでいた。

そのため「大和」との「会敵が予想される直前」に、メリーランドは特攻機による攻撃を受けて1機が3番砲塔に直撃して使用不能に陥った。

だが、メリーランドの艦長も乗員たちも大和との対決を望んで戦列を離れようとせず、デヨから報告を求められた際に、

「戦闘航海に支障なし」

嘘をついて損害を隠した。

しかし、メリーランドがこの特攻機の攻撃を受けたのは1945年4月7日の夜であり、すなわち「大和」が戦没した後であった。

メリーランド艦長や乗員、並びにその上官であるデヨらは、この特攻攻撃の後に、「大和」がマーク・ミッチャー中将指揮下の第58任務部隊によって沈められていたことを知ることになる。

メリーランドは戦争を生き延び第2次世界大戦においての戦功により7個の従軍星章を受章した。

【スペック】
排水量:基準:32,500トン・満載:33,590トン
全長:190.20m
全幅:32.92m
機関:蒸気タービン 4軸: 28,900 shp (22 MW)
最大速:21ノット
乗員 士官・兵員:1,080名
兵装:45口径40.6cm砲8門:51口径12.7cm砲8門:38口径12.7cm砲8門:56口径40mm対空砲36門:70口径20mm対空砲43門

抜粋:http://ul.lc/4t4z (wikipedia)より

1/700 米国海軍 コロラド級戦艦 BB-46 メリーランド 1941 (W150) ピットロード

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