国立航空宇宙博物館に展示されているアポロ11号司令船
出典:Wikimedia Commons
有人「月」宇宙船打ち上げ
アポロ11号はアメリカ合衆国のアポロ計画において、
歴史上初めて人類を月面に到達させた宇宙飛行である。
アポロ計画ではこれが5度目の有人宇宙飛行で、
アポロ8号、アポロ10号に続く3度目の月飛行になる。
また搭乗員すべてがいずれも過去に
宇宙飛行の経験を持っているのは、
宇宙開発史上これが2度目のことであった。
注:NASA関係はP.D.だけではないので写真は割愛します。
上掲載の写真はP.D.
概要
1969年7月16日、ニール・アームストロング船長、マイケル・コリンズ司令船操縦士、エドウィン・オルドリン月着陸船操縦士を乗せたサターンV 型ロケットはケネディ宇宙センター第39複合発射施設から発射され、7月20日、アームストロングとオルドリンは人類として初めて月面に降り立った。
コリンズ飛行士は、その間司令船で月軌道上を周回していた。
またこの飛行により、ジョン・F・ケネディ大統領が1961年5月25日の合同議会の演説で表明した
1960年代の終わりまでに人類を月面に到達させる!
という公約が実現された。
いわゆる、マニフェスト(manifesto)ですね。
日本では実現される方がすく…ゲフンゲフン。
ちなみにマニフェストとは正確に言うと公約文書の事です。
しかし、1963年11月22日に没したケネディは、この公約実現に立ち会えなかった…。
これ、悲しすぎる…
アポロ11号の打ち上げ(Youtube:NASA公式より)
(Jack King’s Apollo 11 Launch Commentary)
月面着陸まで
1969年7月16日13:32UTC(現地時間午前9時32分)、アポロ11号を乗せたサターンV 型ロケットはケネディ宇宙センターから発射された。
当日は、発射場近くの高速道路や海岸には無数の人が群れ、数百万の人々がテレビでこの光景を目撃しようとしていた。
と、NASAの主任広報官だったジャック・キングはコメントしている。
ニクソン大統領も、ホワイトハウスの執務室で発射の瞬間を見ていた。
まあ、そりゃそうでしょ…
サターンV は12分後には軌道に乗り、地球を一周半した後、第三段S-IVB ロケットを再点火して月へと向かった。
30分後、司令・機械船がS-IVB から切り離され、月着陸船とドッキングした。
7月19日、11号は月の裏側で機械船のロケットエンジンに点火し、月周回軌道に乗った。
軌道を13周した時、乗組員は静かの海サビーヌDクレーターの南西20キロの上空で、まさにこれから彼らが着陸しようとしている地点を目視することができた。
ここが着陸地点に選ばれたのは、無人探査機レインジャー8号・サーベイヤー5号による調査や、月周回衛星からの写真撮影によって、比較的平坦で着陸や船外活動を行なうのに支障がないと判断されたからであった。
1969年7月20日、着陸船イーグルは司令船コロンビアから切り離された。
イーグルは機体をゆっくりと回転させ、コロンビアにひとり残ったコリンズは、離れていくイーグルが損傷を負っていないかを目視にて確認した。
コレ重要!
航空機でも優秀な整備士さんや管制技術官が居るから安全に航行出来るのと同じで、コリンズさんのような陰の立役者を忘れてはいけない。
エンジンに点火し、降下を開始してしばらくたってから、アームストロングとオルドリンは月面上の目標地点を通り過ぎるのが4秒ほど早すぎることに気づいた。
これはすなわち、予定着陸地点を数マイルほど行きすぎてしまうことを意味していた。
その時、着陸船の航法コンピューターが警報を発した。
地上のシミュレーターで数え切れないほど訓練を積んできた両飛行士にも、この警報が何を意味するのか理解できなかったが、テキサス州ヒューストンの管制センターにいたコンピューター技師は、航法主任にこのまま降下を続けても何ら問題はないことを報告し、それはただちに飛行士たちにも伝えられた。
だがその時アームストロングが窓の外を見ると、そこには直径100mほどもあるクレーターが待ちかまえていた。
Σ(‘◇’*)エェッ!?
内部には乗用車ほどもある岩がいくつも転がっていて、その中に降りれば着陸船が転倒してしまうことは明らかであった。
アームストロングは操縦を半手動に切り替え、傍らでオルドリンが高度と速度を読み上げ続けた。
一般的には全手動に切り替えたと思われているが、事実ではない。
7月20日20:17 (UTC)、イーグルは月面に着陸したが、そのとき燃料は残り25秒と表示されていた。
この着陸にいたるまでのアームストロングの心拍数は150を超えており、彼らが着陸失敗の恐怖と緊張の中にいたことを窺わせている。
そりゃそうでしょ。。。
生きるか死ぬかだもん。
そして、先ほどの警報は、コンピューターがオーバーフローを起こしたことを知らせるものであった。
着陸の際、司令船とのランデブー用のレーダーは必要がなくなるが、万が一着陸を中止して緊急脱出する事態に備えて、スイッチがオンになっていた。
そのためコンピューターには、高度測定用レーダーからのものとランデブー用レーダーからのものの2種類のデータが入ってきてしまい、演算処理が追いつかなくなったのである。
地上のシミュレーションでは、このような事態は想定していなかった。
これはコンピューターではなく人間の側のミスだったが、大きな問題に発展することはくい止められた。
また燃料はあとわずかしか残っていないと表示されていたが、これは月の重力が地球の6分の1しかないため、タンク内で燃料が予想以上に攪拌され、実際よりも少なく表示されたものであった。
なるほど…
このため次回以降のミッションでは、タンクの中に燃料の動揺を抑える抑流板が設置された。
月面から最初の言葉を発したのは(技術的な専門用語だったが)オルドリンだった。
降下している間、彼はずっと操縦を担当するアームストロングの横で航法データを読み上げていた。
接地した瞬間に彼が言った言葉は、
接触灯点灯。
オーケー、エンジンストップ。
ACA(Attitude Controller Assembly)解放。
アームストロングが
ACA解放了解。
と確認し、再びオルドリンが
モードコントロールオート。
降下用エンジン指令すべて停止。
エンジンアーム、オフ。
413イン。
と発声した。
その次にアームストロングが、有名な次の言葉を放ったのである。
ヒューストン、こちら静かの海基地。イーグルは舞い降りた。
Houston, Tranquility Base here.
The Eagle has landed.
アームストロングが宇宙船の名称を不意に「イーグル」から「静かの基地」に変更したために、管制センターは一瞬混乱した。
すげ~良いセンスしてる!
かっけ~!
通信担当官が直ちに着陸を確認し、関係者は最も困難な作業である着陸操作が無事に行なわれたことで、ほっと一安心した。
これだけで映画できそう(ツッコミはナシの方向でw
豆知識
着陸船は、アメリカの国鳥であるハクトウワシを計画の徽章として使用することが決定された後、「イーグル (Eagle)」と命名された。
また司令船の「コロンビア (Columbia)」はアメリカ自体を象徴する伝統的な女性名で、ジュール・ヴェルヌの小説「月世界旅行」に登場する。
NASAは計画段階では、司令船を「スノー・コーン(かき氷)」、着陸船を「ヘイスタック(干し草)」という暗号名で呼んでいたが、マスコミに公表する際に変更された。
もっと知りたい人は↓
抜粋:http://ul.lc/4shv (wikipedia)より
PR