【今日の歴史?】1985年10月16日の事

【今日の歴史?】1985年10月16日の事
2009年3月10日、道頓堀川・戎橋下流200 - 300メートル付近、南側護岸から約5m、水深約2mの川底地点でヘドロにまみれて灰色になり眼鏡や手首も外れてしまっていたが、原形は留めていた上半身が発見された。そのあと下半身も発見された。 発見後、像は甲子園球場最寄りの阪神甲子園店に展示されることになった。
2009年3月10日、道頓堀川・戎橋下流200 – 300メートル付近、南側護岸から約5m、水深約2mの川底地点でヘドロにまみれて灰色になり眼鏡や手首も外れてしまっていたが、原形は留めていた上半身が発見された。そのあと下半身も発見された。
発見後、像は甲子園球場最寄りの阪神甲子園店に展示されることになった。

カーネル・サンダースの呪い始まる!

カーネル・サンダースの呪い(英: “Curse of the Colonel”)とは、1985年10月16日に、日本プロ野球球団、阪神タイガースの21年ぶりのセントラル・リーグ優勝に歓喜した阪神ファンが、ケンタッキーフライドチキン道頓堀店の店頭に設置されていたKFCコーポレーションの創業者でマスコットでもあるカーネル・サンダースの像を道頓堀に投げ入れた因果で、翌年以降の同球団の成績が低迷しているとされる都市伝説の一つである。

阪神は翌年以降から17年連続でリーグ優勝を逃しているが、その急激に弱体化した原因を説明するためにこの呪いが取り上げられた。

一部のファンは像が回収されるまで優勝は無理だと信じていた。
2004年のワールドシリーズで勝利するまで80年以上もワールドチャンピオンから遠ざかっていたMLB球団、ボストン・レッドソックスもベーブ・ルースをニューヨーク・ヤンキースに放出したことが原因でバンビーノの呪いの下にあると言われていた時期があり、この二つの呪いは時折比較されている。

レッドソックスファンも勝利を祝って破壊的行為を行う者も出るほどの熱狂的な応援で知られている。

KFC秘伝の「11種類のハーブとスパイスのブレンド」のレシピを漏らそうとする者に生命に危険が及ぶとされる「カーネルの呪い」としても使用されてきた。

概要
読売ジャイアンツが12球団最多の日本選手権シリーズ優勝回数を誇り、日本プロ野球界の盟主と見なされてきた一方で、古くからライバル関係を築いてきた阪神タイガースが日本選手権シリーズを勝ち抜いたのは2013年シーズンが終了した時点でまだ一度のみである。

1985年10月16日、阪神のセントラル・リーグ優勝が決まった際、興奮した阪神ファンが大阪府大阪市南区(当時。現在は中央区)道頓堀のケンタッキーフライドチキン道頓堀店(現存せず)に置いてあったカーネル・サンダースの像を当時の助っ人外国人のランディ・バースに見立て、店員の制止を振り切って担ぎ出し(この際、この店員に暴行も加えた)、胴上げの末道頓堀川に投げ込んだ。
そのまま像は浮上せず、その後数年に一度の頻度で大阪市が行っていた道頓堀川の川底清掃作業(船を使ってヘドロやごみなどを除去する作業)でも像は発見できなかった。

この事件以後、阪神は成績低迷に陥り、18年間リーグ優勝から遠ざかった。

これを「カーネル・サンダースの呪い」だと呼ぶファンがおり、都市伝説として定着している。
都市伝説定着の大きなきっかけとしては、1988年3月に放送された朝日放送のバラエティ番組『探偵!ナイトスクープ』が挙げられる。
カーネル像は2009年3月に発見され、大きな反響を呼んだ。

都市伝説

ペナントレースや主力選手への影響?

優勝の翌年、ストライクゾーンの変更によるルール変更の影響もあり、阪神は連覇の期待もあったが逆に開幕から横浜大洋ホエールズに3連敗を喫した。
その後阪神は復調するが主力の掛布雅之がデッドボールによる骨折など度重なる故障、エースの池田親興がベースカバーの際に骨折しそれぞれが戦線離脱。
戦力が整わないまま本年のペナントレースを戦う事になる。
特に掛布はデッドボールが影響し1988年に引退。
また阪神はシーズン中、7連勝、9連勝と大型連勝をしたが連勝はいずれも大洋に止められてしまい最終的には広島、巨人に大きく差をつけられた3位に終わる。

ただしこの時(1986年当時)は「カーネル・サンダースの呪い」という言葉はまだなかった。

翌、1987年は球団史上最低勝率の勝率.331を記録。
この年、日本テレビのニュース番組『ズームイン!!朝!』では、中継先の読売テレビのアナウンサー・辛坊治郎(当時)・森武史が阪神が負けるたびに「なんぎやなあ」と嘆き、流行語大賞銀賞を獲得するまでに至った。

1988年にはバースが息子の病気治療への対応を巡り球団と対立し退団した後に引退、責任を取り球団代表が飛び降り自殺をするなど阪神の低迷が続いた。
その後、低迷から脱し2003年と2005年にリーグ制覇をしたがともに日本シリーズではパ・リーグのチームに敗退。

1985年以降、日本一にはなっていない。
また2007年から始まったクライマックスシリーズでも、出場を果たした2007年・2008年・2010年・2013年のいずれもファーストステージ(2位対3位の対戦)の段階で敗れており、日本シリーズ出場そのものも2005年以来途絶えている。

2013年のCSで、阪神は2連敗で敗退。2007年CS導入以来、4度出場するもファーストステージ突破できないまま、通算1勝8敗の痛ましい成績となった。

阪神のドラフト会議
また、阪神は日本一前年、即ちカーネル「受難」の前年の1984年にドラフト1位で競合した嶋田章弘をクジで引いたのを最後に、その後12回のドラフト1位指名選手の競合で当たりクジを一切引いていなかった。
詳細は以下の通り(表記はドラフト会議の年度、指名選手、交渉権獲得球団の順)。

1985年 – 清原和博(西武)
1986年 – 近藤真一(中日)
1987年 – 川島堅(広島)
1989年 – 野茂英雄(近鉄)
1990年 – 小池秀郎(ロッテ・ただし入団拒否)
1992年 – 松井秀喜(巨人)
2006年高校生 – 堂上直倫(中日)
2007年高校生 – 中田翔(日本ハム)
2007年大学生・社会人 – 大場翔太(ソフトバンク)
2008年 – 松本啓二朗(横浜)
2009年 – 菊池雄星(西武)
2010年 – 大石達也(西武)

さらに2008年の松本の際は外れ1位で指名した藤原紘通も外している。ただし、中田の外れ1位で指名した高濱卓也の交渉権は獲得している。

しかし、2012年度の会議において、藤浪晋太郎を引き当てたことでこのジンクスは途切れた。

派生事象
1988年3月、朝日放送のバラエティ番組、『探偵!ナイトスクープ』の第1回放送時の依頼のひとつとして、「道頓堀川に沈んだカーネル・サンダースを救え!」というものが放送された。
ここで探偵局長(司会者)の上岡龍太郎は「サンダース像を救出し、祓い清めない限り、阪神の優勝は永遠に望めない」と、梅原猛の『水底の歌』まで持ち出して力説した。

当時未だ駆け出しであった生瀬勝久(当時の芸名は槍魔栗三助)を送り出して第一回調査を始め、翌4月までの数度に亘って道頓堀川を潜水調査した様子が放送されたが、発見には至らなかった。

この放送が「カーネル・サンダースの呪い」を広め、都市伝説として定着するきっかけとなった。
1992年、低迷を続けていた阪神が7年ぶりに優勝争いに加わったとき、この「伝説」は東京のマスコミにも取り上げられて大きな話題を呼んだ。
中にはこれを「関西には未だに怨霊思想がはびこっている」と考えて朝日放送に取材に来たケースさえ有り、「これは元々番組が仕掛けたシャレで、関西人は誰も本気で『祟り』なんか信じていない」と説明しても、東京人をだます嘘に違いないとなかなか信じてもらえなかったという。
ちなみに、当時の『ナイトスクープ』スタッフには巨人ファンはいても、実は阪神ファンは一人もいなかったのである。

道頓堀のカーネル・サンダース像
事件後、道頓堀店から一旦カーネル像は姿を消すが、1992年に復活。
今度は盗難されないようにと台座をボルトねじで固定した。なお道頓堀店は、1998年に閉店している。

その後、KFC(ケンタッキーフライドチキン)の日本法人は、2003年の阪神リーグ優勝に際しカーネルのデフォルメキャラとのコラボレーショングッズを近畿地方などの店舗で発売しており、また2008年3月には阪神の本拠地である阪神甲子園球場内にケンタッキーフライドチキンが開店し、阪神のタオルと応援メガホンを首にかけたカーネル像も設置された。

カーネル像の発見
2009年3月10日、道頓堀川・戎橋下流200 – 300メートル付近、南側護岸から約5m、水深約2mの川底地点[で、大阪市建設局による水辺整備事業の一環として障害物調査(不発弾の有無確認を最大目的)並びに除去作業を依頼された南海辰村建設が潜水作業員を投入し、磁気探査作業中に反応があった川底を調査していたところ、1985年に投げ込まれたとみられるカーネル・サンダース像の上半身が発見され、台船のクレーンで引き揚げられた。

引き上げた作業スタッフたちはこれを死体と勘違いしたが、すぐにカーネル・サンダース像であることを確認し、ヘドロにまみれて灰色になり眼鏡や手首も外れてしまっていたが、原形は留めていた。
翌3月11日にも潜水作業員が引き続き調査したところ、8時53分に右手、9時頃に下半身が発見され引き揚げられ、11時25分頃に前日見つかった上半身部分と合体し、同じ像のものと確認された。

下半身・右手発見後の時点で眼鏡・両足首・左手は紛失状態であり、付近を入念に調査したが発見の可能性が薄い(水没中に破損若しくは流失したものと思料される)ため、同日捜索開始から50分後に作業打ち切りとなった。

発見された像について日本法人は、2009年3月時点で他に行方不明の像は無く、外形・発見地点などの要素から当時に投げ込まれた像に間違いない、とコメントしている。
像の処遇について、元来の所有権は道頓堀店にあったがすでに閉店しているため、日本法人が引き継いだ形で大阪市と協議していたが、同年3月11日に日本法人へ像の返還が決定し、同年3月13日に大阪市役所にて日本法人社長に引き渡された。

像は専門家にて検査と最小限の修復を行い、当面大阪市内の警備会社金庫で保管されることになった。
紛失状態の眼鏡は、投げ込まれる以前に掛けていた同型のフレームが1990年前後まで製造を担当していた鯖江市内のメーカーに残存しており、福井県鯖江市と福井県眼鏡協会から日本法人に贈呈された。

日本法人は返還後の像について、この伝説を世に広めるきっかけとなった2009年3月15日放送の「探偵!ナイトスクープ ザ・ゴールデン」に登場し、その後は甲子園球場内の店舗にて公開する構想や2010年春に完成予定の甲子園歴史館に展示する構想もあった。

1985年当時の阪神監督であった吉田義男は「人形が見つかったと聞き、『歴史が終わったな』と感じた。」と語った。

発見後のカーネル像
この像は2009年6月25日に、日本法人が実施している「チキン感謝祭」に併せ、NPO「文化財保存支援機構」による修復作業後の姿が住吉大社で公開され、「おかえり! カーネル」と命名された。
同年8月に大阪市内で実施されるイベント「水都大阪2009」で展示された。

しかし、甲子園歴史館から断りの連絡があったこと、人形のモデルでもあり同社の創業者であるカーネル・サンダース本人の生前のキャラクターを考慮したことなどから、2009年12月17日をもって表舞台からの引退が決まった。

その後、像は甲子園球場最寄りの阪神甲子園店(阪神の親会社である阪神電気鉄道の甲子園駅前にある。阪神甲子園球場内には別に「甲子園球場店」が存在する)での展示が決定し、2010年3月19日から常設展示が実施されており、同店舗の営業時間内なら自由に見ることができる(ただし日本法人のイベント等で使用されるため一時的に不在となることがある)。

その反響から、この出来事を題材としたゲームが配信されたり、山羊(ヤギ)の呪い・ビリー・ゴートの呪いと呼ばれる都市伝説があるシカゴ・カブスからオファーなど関連した展開が生まれている。

また、日本法人はこの「おかえり! カーネル」と通常のカーネル像のマスコットをつけた携帯ストラップを2009年8月27日から日本国内のケンタッキーフライドチキン店舗で発売している。いまは知らない。

抜粋:http://ul.lc/52ru(wikipedia)より

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