【今日の歴史】1886年7月13日の事【明治19年勅令第51号】

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グリニッジ子午線の基準になっているグリニッジ天文台旧本館北面の窓出典:wikimedia
グリニッジ子午線の基準になっている
グリニッジ天文台旧本館北面の窓
出典:wikimedia

日本の時が動き始める

本初子午線經度計算方及標準時ノ件
(ほんしょしごせんけいどけいさんほうおよびひょうじゅんじのけん)
なげ~よ!
明治19年勅令第51号
公布: 明治19年7月13日署名の日付は同月12日
施行: 官報到達日(ja.wikisource.orgより)
公文式第10条から第12条まで参照
常用漢字表記: 本初子午線経度計算方及標準時ノ件


本初子午線(ほんしょしごせん)
経度0度0分0秒と定義された、子午線(経線)のことである。
「本初」とは「最初・首位」という意味である。
ロンドンとの時差は、(UTC+9)9時間。
日本(世界で一番早く日が登る日本と覚えると簡単)が、9時間進んでいる。


概要
江戸時代以前には暦の計算や測量などには京都にあった改暦所という役所を通る子午線を基準としていた。

1871年日本の基準子午線は東京の皇居(江戸城)富士見櫓を通る子午線に移された。

1886年7月13日勅令「本初子午線經度計算方及標準時ノ件」で、グリニッジ子午線を基準子午線として採用することが定められた。

ちなみに、フランス1911年3月9日に、アメリカ合衆国1912年8月22日グリニッジ子午線を本初子午線として公式に採用した。

Σ(‘◇’*)エェッ!?
この頃の日本って、結構融通の効く国だった。。。

背景
1884年10月13日、アメリカ合衆国の提案で国際子午線会議 (International Meridian Conference) ワシントンD.C.で開かれた。

投票の結果、グリニッジ天文台を基点とする案が採用され、グリニッジ子午線は国際的な基準子午線となった。

この会議には日本からは菊池大麓が参加した。

菊池 大麓(きくち だいろく)1855年3月17日(安政2年1月29日) - 1917年(大正6年)8月19日)明治・大正期の日本の数学者、政治家である。出典:wikimedia
菊池 大麓(きくち だいろく)
1855年3月17日(安政2年1月29日) – 1917年(大正6年)8月19日
明治・大正期の日本の数学者、政治家である。
出典:wikimedia

菊池大麓の逸話
ケンブリッジ大学時代は数学で常に首席を占めていたため、他のイギリス人学生から嫉視されていた。
あるとき大麓が風邪をこじらせて入院すると、イギリス人学生たちは示し合わせて、大麓が欠席中の講義ノートを彼に貸さないことにした。
それによって、いつも二番目の成績だったブラウンという秀才を首席に押し出そうという企みだったが、ブラウンは病院の大麓を毎日見舞い、当日のノートを清書して彼に渡していたため、大麓の首位は動かなかった。
このため、大麓は生前「ブラウンの高潔なイギリス魂ほど私を深く感動させたものはない」と洩らしていたという。
また留学中の1872年にUniversity college schoolにてラグビーの試合に出場したことが文献に残っており、これは日本人初のラグビープレイヤーを意味する。


フランス中立国を基点とするよう主張したがフランスの提案地には重要な天文台がない場所が多かったため、この提案は顧みられず、フランスは決議に棄権した。
他にブラジルも棄権し、ドミニカ共和国は反対したが、他国は賛成した。

グリニッジ子午線の位置は、1851年に当時の台長ジョージ・ビドル・エアリー子午環を設置し、以降、観測を行った地点と定義されている。

それ以前は第2代王室天文官・エドモンド・ハレー1721年に最初に観測した位置を、子午線儀を使って継承していた。
その地点は、フラムスティード・ハウスとウェスタンサマーハウスの間の天文台の北西端の角であった。

グリニッジ子午線は、地表から天文観測によって位置が決定され、地表の重力方向の鉛直線によって指向された。

グリニッジ天文台場所出典:googleマップ
グリニッジ天文台場所
出典:googleマップ

(googleマップで詳しくシッカリと見る!)

IERS基準子午線
現在の国際的な本初子午線IERS基準子午線(IERS Reference Meridian)である。

これは国際地球回転・基準系事業(IERS)によって定義、保持されている測地系である国際地球基準座標系(ITRF)のx軸方向である。

アメリカ国防総省の運営するGPSの基準座標系WGS84の基準子午線もこれを用いている。

この基準子午線はグリニッジ天文台のグリニッジ子午線から東に5.64秒、距離にして102.5mずれている。

これはGPSの前身となる最初の全地球航法衛星システムであるTRANSIT衛星の基地局の座標系として北米測地系1927を基準としたためである。

出た!アメリカ基準ww

IERS基準子午線の方向地球の大陸プレートの動きの加重平均に追従する。

すげ!

抜粋
http://ul.lc/4sd2(Wikipedia)
http://tiny.cc/364j0x(wikisource)より

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