【今日の歴史】1955年2月24日の事【革命児誕生】

NO IMAGE
若いころのジョブズ。イケメンだw
若いころのジョブズ。イケメンだw

スティーブ・ジョブズ生誕日

スティーブン・ポール・“スティーブ”・ジョブズ
(Steven Paul “Steve” Jobs、1955年2月24日 – 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国の実業家。
アップル社の共同設立者の一人
アメリカ国家技術賞を受賞している。

ファミリーネームを「ジョブス」と表記することもあるが、アップルジャパンの公式ウェブサイトでは「ジョブズ」と表記している。

略歴
1976年スティーブ・ウォズニアックと共に初期のホームコンピュータ「Apple I」、その後「Apple II」を開発した。

Apple IIは大成功を収め、自宅からスタートしたアップル社は、シリコンバレーを代表する企業としてサクセスストーリーを築いた。

1980年の株式公開時に2億ドルもの巨額を手中にし、25歳でフォーブスの長者番付、27歳でタイムの表紙を飾った。

1984年に発売した「Macintosh」が搭載したグラフィカルユーザインターフェースは当時のあらゆるパソコンを凌駕する洗練されたもので、新たなコンピュータ像を創造した。

しかし、本人の立ち居振舞いが社内を混乱させたとして、1985年アップルから追放された。

アップル退職後、ルーカスフィルムのコンピュータ・アニメーション部門を買収して、ピクサー・アニメーション・スタジオを設立

また、自ら創立したNeXT Computerで、NeXTワークステーション(NeXTcubeとNeXTstation)とオペレーティングシステム (OS) NEXTSTEPを開発した。

1996年、業績不振に陥っていたアップル社にNeXTを売却すると同時に復帰1997年には、暫定CEOとなる。

同年には、不倶戴天のライバルとさえされていたマイクロソフトとの提携と、同社からの支援を得ることに成功し、また社内ではリストラを進めてアップル社の業績を回復させた。

2000年、正式にCEOに就任

2001年から2003年にかけてMacintoshのOSをNeXTの技術を基盤としたMac OS Xへと切り替える

その後iPod・iPhone・iPadといった一連の製品群を軸に、アップル社の業務範囲を従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大させた。

暫定CEOに就任して以来、基本給与として、年1ドルしか受け取っていなかったことで有名であり(実質的には無給与であるが、この1ドルという額は居住地の州法により、社会保障を受けるために給与証明が必要なことによる)、このため「世界で最も給与の安い最高経営責任者」とも呼ばれた。

2006年に、ピクサーをディズニーが買収したことにより、ディズニーの個人筆頭株主となり、同社の役員に就任したが、ディズニーからの役員報酬は辞退していた。

2011年10月5日、アップルはジョブズが死去したと発表した。
別の報道では死因は膵癌に伴う呼吸停止と報道している。

56歳没。

2012年2月11日、第54回グラミー賞で、特別功労賞の一つ「トラスティーズ賞」が授与された

経歴については、
スティーブ・ジョブズ自伝【電子書籍】
スティーブ・ジョブズ自伝【普通書籍】

の方が正確なので気になる方は読んでみると、彼の生き様もよくわかると思うのでオススメです。

人物像
アップル復帰当時は、上記のような解任前後のジョブズに対する人物評から、完璧主義による強引な経営を懸念する者もいた。

しかし、復帰後は対立しているとされていた競合他社とも提携するなどし、ライバル企業の経営者をさえも惹き付ける人間性で知られている(オラクルのラリー・エリソンなどは彼の友人である)。

また、人を引き抜く際にはその人を強く揺り動かす「魔法」を唱えることで知られ、前出のスカリーをペプシから引き抜く際の文句の他に、1982年当時ゼロックスで働いていたエンジニア、ボブ・ベルヴィールには

「君は優秀だと聞いたけど、やってきた仕事は全部ガラクタだな。俺ん所で働けよ (I hear you’re great, but everything you’ve done so far is crap. Come work for me.) 」

と語りかけて引き抜いている。

しばしば何の予告もなしに突然価値観を180度変えることもあり

「3か月前に白が最高だと言っていたのに、今では黒が最高だと言い始め、理由はそれが正しいからいいんだと、自身以外は納得のいくものは何も口にしない」

と元社員は語っている。

ソニー製品について「ソニーのHDVカメラは優秀で、高価だが一家に一台必要だ」と言う一方で、「iPodに劣る」としてウォークマンを批判するといった評価をしている。

1999年10月5日のメディアイベントのスピーチ冒頭で、ソニー共同創業者盛田昭夫の死に追悼の意を表し、トランジスタラジオやトリニトロン、ウォークマンなど革新的な商品開発をアップルに大きな影響を与えたものとして称賛している。

部下に対して高い目標を提示し、精力的に優れた仕事へと導くため、理想の上司として評価されることも多い

同時に、ジョブズの要求する水準を満たさない者に対しては放送禁止用語だらけの罵声を浴びせたり、その場で即クビにすることでも知られる。

前アップルPR担当チーフのローレンス・クレィヴィアはジョブズとのミーティングの前には必ず闘牛士と同じように「自分は既に死んだ」暗示をかけてから挑むと同僚に語っていた。

また、ジョブズのアップル復帰後に次々と社員がリストラされた際には「スティーブされる」(=クビになる) という隠語が生まれた。

リーアンダー・ケイニーのINSIDE STEVE’S BRAINによれば、これらは部下にプライドと職を懸けさせなければ最高の仕事をしないからというのが理由であり、部下の意見を何度か却下した後に採用するのも同じ理由である。

発案者が信念を持っていない意見やアイデアは無視すると決めている。
例えば”iPod”という名称も採用する前に2度却下している。

また、アップルコンピュータ社の暫定CEOに就任して以来、当時赤字続きだったアップルのために自分はピクサー社の収入があるとし、一貫して給与は毎年1ドルしか受け取っていないことは有名である(しかし、慢性的赤字から経営を回復させた功績により、高額の成功報酬及びストックオプションがアップル社から与えられている)。

実際、2004年にはストックオプションのほかの成功報酬はなく、本当に1ドルしか受け取っていない。

若い頃から禅に傾倒した仏教徒であり、しばしばスピーチなどで禅の教えを引用した。

禅宗の僧侶、乙川弘文を精神的指導者と慕っており、結婚式にも招待している。

禅だけではなく日本の文化に深い関心を持ち、晩年まで家族旅行でしばしば京都を訪れていた

ジョブズが愛した京都の老舗旅館「俵屋」
ジョブズが愛した京都の老舗旅館「俵屋」

また、新版画の密かなコレクターでもあり、1983年から蒐集を開始している。

翌年のMacintoshの発表セレモニーでは、自身が持っていた橋口五葉の「髪梳ける女」をスクリーンに映し出すことで、その優れた映像技術を示した。
ジョブスは新版画の中で、特に川瀬巴水の風景画を好んだという。

MacPaintマニュアルと橋口五葉「髪梳ける女」
MacPaintマニュアルと橋口五葉「髪梳ける女」

一方で、日本のビジネス界に対しては、日本のPCメーカーのことを「海岸を埋めつくす死んだ魚」と表現する(ただし、これは日本のメーカーに対してではなく、日本のメーカーが大量の商品攻勢をかけられる可能性を作ったPC/AT互換機に対する揶揄であるとも言われている)など、辛辣な一面を見せることもある。

食生活には強いこだわりを持ち(大学時代から絶対菜食主義を貫いており、癌手術後にタンパク源が必要になって魚介類を取り入れるようになった)。

日本食、とりわけ蕎麦や寿司を好んだことが知られている。

アップル本社の食堂Cafe Macsにはジョブズが考案したという「刺身ソバ」なるメニューがある。

Cafe Macsで働く日本人スタッフの女性は、ジョブズのために築地で本格的な蕎麦打ちの修行をしたという。

アップルに復帰後、社員食堂を自社運営に切り替えて、ジョブズ自身がスカウトしたシェフが腕を振るっている。

ジョブズのトレードマークである黒のタートルネックは、三宅一生デザインのもの。
ジョブズが1980年代に盛田昭夫に案内されてソニーの工場見学をしたことがきっかけになっている。
三宅デザインのソニーの制服に感心したジョブズは、三宅にユニフォームを発注して、アップル社の制服にすることを提案したが、これは受け入れられなかった

しかしこれを機にジョブズは三宅デザインの黒のタートルネックリーバイスのジーンズニューバランスのスニーカーを自分のユニフォームと位置づけ、毎日それだけを着続けるようになったという。

ジョブズのプレゼンはいつも神がかっていた。
ジョブズのプレゼンはいつも神がかっていた。

業界でジョブズにまつわる人物は数多いが、中でもマイクロソフトのビル・ゲイツは同じ1955年生まれということもあって、独特のライバル関係にある。

世間では確執が語られることも多いが、自他ともに認める友人でもあり、ビジネスのみならずプライベートでも関係が深かったことが知られている。

互いにビジネスの才覚については高く評価している。

腹心の部下である、バド・トリブルが使い始めたという『現実歪曲空間』は、たとえ彼をよく知る人間がそれに備えていたとしても、抵抗できないといわれている。

ボブ・ディランとビートルズ(特にジョン・レノン)の大ファン
アップルのプレゼンテーションで、ボブ・ディランの詩を朗読したりビートルズのジャケット写真を使ったことがある。

愛読書は、パラマハンサ・ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」で、自分のiPad2にダウンロードした唯一の本
ティーンエイジャー時代に初めて読み、インド旅行中にまた読み、以来年一度は読み返していた

あるヨギの自叙伝【電子書籍は英語のみ】
あるヨギの自叙伝【普通書籍は日本語版有り】

型破りな性格は経営だけでなく、愛車のメルセデスにはナンバープレートを付けていないことにも表れている。

これについては、2001年のフォーチュン誌に「ちょっとしたゲームなんだよ」と語っている。

慈善活動について、公に語ったことはなかったが、ローレン・パウエルに関する記事で、生前に数百万ドル以上を、教育活動に寄付していたことが明るみにでている。

ジョブズ自伝
ジョブズ自伝

ジョブズに対する評価
スティーブのように深い影響力を与えられる人間は、めったにいない。その影響はこれからの多くの世代にも受け継がれるだろう。

—ビル・ゲイツ、The Gates Notes, 2011年10月5日

スティーブはアメリカのイノベーターの中で最も偉大な一人でした。
違う考えを持つことに勇敢で、世界を変えられるという信念に大胆で、そしてそれを成し遂げるための充分な能力がありました。
この星で最も成功した会社の1つをガレージから作り上げることで、彼は米国の独創性の精神を実証しました。
スティーブは毎日が最後の日であるかのように生き、私たちの生活を変え、全産業を再定義し、私たち一人一人が世界を見る方法を変えました。
—バラク・オバマ、The White House Blog, 2011年10月5日

ジョブズには1000マイル先の水平線が見えていた。
しかし彼にはそこに到達するまでに通らなければならない道の詳細は見えていなかった。
それが彼の天才性であり落ち度でもあった。
—ジェイ・エリオット

他人の脳みそを盗むのはジョブズにとって普通のやり方さ。
まず人のアイデアを鼻であしらっておいて、その1週間後には、素晴らしいアイデアを思いついたなんていいながら戻ってくる。
そのアイデアというのは、もちろん1週間前に誰かがジョブズに話したアイデアなんだ。
我々はジョブズのことを現実歪曲空間と呼んでいたのさ。
—ジェフ・ラスキン

スティーブはまさに刺激的な存在だ。
放漫で、暴虐で、激しく、無い物ねだりの完全主義者だ。
彼はまた、未成熟で、かよわく、感じやすく、傷つきやすくもある。
そして精力的で、構想力があり、カリスマ的で、さらにおおむねは強情で、譲らず、まったく我慢のならない男だ。
—ジョン・スカリー

私がイヤな奴についての本を書いていることが知れたとたん、誰もが進んでやって来てはスティーブ・ジョブズの話を聞かせてくれるようになった。
シリコンバレーでいかにジョブズが恐れられているか、そのレベルには驚嘆するものがある。
彼は人を震え上がらせ、悲嘆にくれさせる。
だが、彼はほとんどいつも正しく、たとえ間違えている時でも、その創造性の豊かさには目を見張るものがある。
—ロバート・サットン(スタンフォード大教授)

民主主義に沿ってたんじゃ、素晴らしい商品なんて創れっこない。
闘争本能の固まりのような独裁者が必要なんだよ。
—ジャン・ルイ・ガセー(Be社創業者、元アップル社員)

2009年11月には、アメリカの経済誌『フォーチュン』から「過去10年間の(最も優れた)最高経営責任者」に選出された。

ジョブズと妻・ローレン。公式ではこれがジョブズの最後の姿となった。
ジョブズと妻・ローレン。公式ではこれがジョブズの最後の姿となった。

抜粋:http://ul.lc/5dhk(wikipedia)より

その他ジョブズ関連本【電子書籍】
その他ジョブズ関連本【普通書籍】

PR

歴史的な事件カテゴリの最新記事

Verified by MonsterInsights