青梅事件発生
概要
1952年2月19日の早朝に日本国有鉄道(国鉄)青梅線小作駅構内に留置してあった4両の貨車が動き出し、そのまま傾斜のある本線に流出した。
暴走した貨車は羽村駅を通過し福生駅の引き込み線に入って停車中の貨車に激突、大破した。
その後
国鉄は当初、人為的なミスとして内部処理したものの、青梅線では前年の1951年9月から12月に至るまで列車妨害が連続して発生していたことに加え、ほぼ同時期に無人列車が暴走して6人の死者を出した三鷹事件が発生したことなどから警察は日本共産党関係者の犯行を疑い捜査。
翌1953年に青梅・羽村・福生の共産党活動家他10人を鉄道往来妨害の容疑で逮捕し、起訴に踏み切った。
第一審および控訴審では、被告全員に有罪判決が下ったものの、その後国鉄の事件記録が発見されたり、有罪の決め手となった自白が拷問によるものと判明。
1966年に最高裁判所は審理を東京高等裁判所に差し戻し、2年後の1968年に被告全員の無罪が確定した。
三鷹事件とは
1949年(昭和24年)7月15日に日本・東京都北多摩郡三鷹町(現・三鷹市)と武蔵野市にまたがる日本国有鉄道中央本線三鷹駅構内で起きた無人列車暴走事件。
同時期に起きた下山事件、松川事件と並ぶ国鉄三大ミステリー事件の一つとされる。
概要
連合国軍占領期の1949年(昭和24年)7月15日午後9時23分(当時は夏時間のため現在の午後8時23分)に、国鉄三鷹車庫(現・三鷹車両センター)から7両編成の無人電車が暴走。
三鷹駅の下り1番線に進入した後、時速60km程のスピードで車止めに激突し、そのまま車止めを突き破って脱線転覆した。
これにより、脱線転覆しながら突っ込んだ線路脇の商店街などで、男性6名(45歳、21歳、54歳、58歳、19歳、40歳)が電車(国鉄63系電車)の下敷となり即死。
また負傷者も20名出る大惨事となった。
抜粋
http://ul.lc/5d26(wikipedia)
http://ul.lc/5d27(wikipedia)より
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