【今日の歴史】1862年6月6日の事【指揮の重要性】

テネシー州メンフィス市直ぐ上流のミシシッピ川で行われた水上戦である。
テネシー州メンフィス市直ぐ上流の
ミシシッピ川で行われた水上戦である。
出典:ja.wikipedia.org

メンフィスの戦い

Battle of Memphis
または第一次メンフィスの戦い

南北戦争中1862年6月6日
テネシー州メンフィス市直ぐ上流
ミシシッピ川で行われた水上戦である。

概要
戦闘の様子はメンフィス市民の多くに目撃された。

結果は南軍の大敗となり、ミシシッピ川における南軍の水上戦力は事実上消滅した。
この一方的な結果にも拘らず、北軍はその戦略的意義を把握できなかった。

歴史的に重要なことの一つとして、軍事経験の無かった市民戦闘において艦船指揮を認められたことでは最後の機会となったことである。

アメリカ海軍における職業意識の発展の1つの節目となっている。

戦闘
6月6日に北軍の戦隊が現れたとき、モンゴメリーと船長達は逃げることもできず、戦うか船を沈めるかの決断を迫られていた。

彼らは戦うことを選び、早朝に出港して前進してくる戦隊とその背後に付いてくる衝角艦に向かった。

戦闘は長射程の砲撃の応酬から開始され、北軍の砲艦は川を横切るように戦列を布き、船尾の大砲を向けてくる綿装甲艦に向けて発砲した。

4隻の衝角艦のうち2隻は砲艦の戦列より前に出て敵船に衝角攻撃を行うか他の方法で進路を妨害した。

他の衝角艦は命令を誤解しており、全く戦闘に加わらなかった。

北軍の衝角艦と砲艦はその動きを協調させてはおらず南軍の艦艇は独立して操船していたので、戦闘は間もなく乱戦になった。

この後の戦闘の経過は、硝煙のために曖昧である。

目撃者の証言もあるが、通常よりかなり矛盾が多い。

確かなことは、戦闘が終わった時に1隻を除いて全て綿装甲艦が破壊されるか捕獲されており、北軍はクィーン・オブ・ザ・ウェスト1隻だけが航行不能になっていた。

南軍では唯一ジェネラル・アール・ヴァン・ドーンだけが逃亡し、ビックスバーグの直ぐ北にあるヤズー川の防御地点まで逃げた。

南軍の人的損失信憑性のある推計ができていない。

抜粋:http://ul.lc/4nyf (wikipedia)

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