大時計始動!
ビッグ・ベン(Big Ben)
イギリスの首都ロンドンにある
ウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)
に付属する時計台 の大時鐘の愛称。
現在では、転じて
『時計台全体』・『大時計そのもの』
の名称として使われている。
概要
時計台の正式名称は「クロック・タワー」 (Clock Tower)であったが、エリザベス2世の在位60周年を記念して「エリザベス・タワー」(Elizabeth Tower)に改称されることになった。
地下鉄ジュビリー線の延伸などで地盤状態が建設時とは変化し、時計台はわずかに北西へ傾いている。
傾斜度は約1/250、文字盤の位置でおよそ220mmほどである。
また、熱の影響で一年かけて東西方向に数mmぶれる。
構造
時計台の高さは96.3m。
下部の61mは煉瓦造、残りの高さは鋳鉄の尖塔からなっている。
時計の文字盤は地上55mに位置している。
文字盤は、直径7mの鉄枠に312個の乳白ガラスがステンドグラスのようにはめこまれ、文字盤の周囲には金めっきが施されている。
それぞれの文字盤の下には金文字のラテン語で
“DOMINE SALVAM FAC REGINAM NOSTRAM VICTORIAM PRIMAM”
(主よ、我らが女王ヴィクトリアに御加護を)
と刻まれているらしい。
地下は女王に逆らった人の牢獄になっています。
また、内部には議員さんにコネがあれば簡単に入れ、ビッグ・ベンを触ることも出来ます。
歴史
時計塔の建設は、1843年9月に始まりました。
その建設を依頼されたのが、当時宮殿の設計責任者となっていたチャールズ・バリー(Charles Barry)でした。
1834年ウェストミンスター宮殿が焼失後に宮殿をデザインしたのが彼だったからです。
チャールズ・バリーはすばらしい建築家ではありましたが、時計作りの専門家ではないので、時計塔の設計にはあまり詳しくありませんでした。
そこで、女王の時計製作者であり友人のベンジャミン・ルイス・ヴリアミー(Benjamin Lewis Vulliamy)に協力を依頼し、時計塔の制作を開始することが出来ました。
しかし、ここで問題が発生します。
当時話題となっていたこの塔の時計建設にエドワード・ジョン・デント(Edward John Dent)のような著名な時計職人が我こそはと参加表明し論争が巻き起こりました。
そして、1846年に塔の時計の設計者を決定するためにコンペティションが開催されます。
当時の王室天文官サー・ジョージ・エアリー(Sir George Airy)は高い基準を要求しました。
それは、
毎時の誤差は1秒以内の正確さである。
その正確さをグリニッジ天文台に一日二回電報する。
という内容のものでした。
この基準を満たすため、建設は7年近く遅れることになります。
エアリーのサポート役として弁護士で有能なアマチュア時計製作者のエドモンド・ベケット・デニソン(Edmund Beckett Denison)が任命されました。
1852年2月、デザインはデニソンのものを使い、製作者はデントに決まります。
しかし、またもや問題が起きます。
今度は塔の内部空間が、計画されていた時計のサイズよりも小さかったのです。
原価計算で100ポンド分の変更を行う必要がありました。
そして、デントは1853年に亡くなり、彼の義理の息子フレデリックが後を継ぎ、1854年、2500ポンドの費用を投じた時計はとうとう完成。
しかし、時計塔がスケジュール通りに完成していなかったため、時計は1859年に設置されるまで、デントの工場に保管されます。
その間デニソンは‘double three legged gravity escapement’を開発するなど、多くの改良が施されました。
この’double three legged gravity escapement’構造は、時計の振り子が風圧などの外部要因による影響を受けない革新的な機構でした。
この構造によって振り子と時計構造をうまく分離させることが可能となった。
振り子は時計部屋の真下にあり、振り子自体は長さ3.9m、重さ300kg、2秒ごとに時を刻む。
構造全体では重さ5tになる。
デニソンの発明以来、世界中の時計に使用されました。
時計は1859年4月に時計塔に設置されましたが、鋳鉄製の分針が重すぎたため動作しませんでした。
その後すぐに銅製の物に換えられ、1859年5月31日に時を刻み始めました。
豆知識
ビッグベンの鐘の音はここでダウンロードできますよ^^
抜粋
http://bit.ly/1rma9Y4(wikipedia)
http://ow.ly/NDnRu(イギリス議会による公式サイト)より
イギリス検定 他【普通書籍】
メタリックナノパズル ビッグ・ベン【趣味ですw】
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