【今日の歴史】1950年(昭和25年)9月22日の事

【今日の歴史】1950年(昭和25年)9月22日の事
オー・ミステーク事件
オー・ミステーク事件

日大ギャング事件

日大ギャング事件は、1950年に日本大学の運転手が職員の給料を強奪した事件。
「オー・ミステーク事件」とも。
犯人及び一緒に逃走した恋人が未成年であったことから関心を集め、戦後の若者の風俗を象徴する「アプレゲール犯罪」に位置づけられた。

アプレゲール犯罪とは?
アプレゲール(仏: après-guerre)とは戦後派を意味する語である。対義語はアヴァンゲール。
元は、第一次世界大戦後のフランスで、既成の道徳・規範に囚われない文学・芸術運動が勃興したことをさした。他のヨーロッパやアメリカ合衆国などでもこの運動は飛び火している。

日本でも第一次世界大戦後の1920年代に大正デモクラシーと戦後恐慌の風潮の中で享楽的な都市文化が発達し、「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれる風俗も見られた。
しかし治安維持法が布かれた後は世界恐慌や第二次世界大戦へと至る流れの中で、こうした動きは徐々に圧殺されていった。

日本で省略形の「アプレ」という言葉が流行したのは、第二次世界大戦後である。
戦前の価値観・権威が完全に崩壊した時期であり既存の道徳観を欠いた無軌道な若者による犯罪が頻発し、彼らが起こした犯罪は「アプレゲール犯罪」と呼ばれた。また徒党を組んで愚連隊を作り、治安を悪化させた。
このような暗黒面も含めて、「アプレ」と呼ばれるようになった。

一方で、彼らの様な思想の持ち主に対して古来からの価値観を守ろうと主張する勢力をアヴァンゲール(仏: avant-guerre)と呼んだ。

事件経緯
1950年(昭和25年)9月22日、東京都千代田区で日本大学の職員が給料191万円を輸送途中、同じく日大に勤めていた運転手の少年(当時19歳)に襲撃された。少年は職員をナイフで切りつけて金を奪い、日大教授の娘である恋人(当時18歳)と逃走した。

9月24日に潜伏先の品川区で逮捕される。逮捕の際少年は恋人に向かい「オー・ミステーク」と叫んだ。これによりこの事件は別名「オー・ミステーク事件」とも呼ばれる。

犯人は奪った金で舶来の高級バッグや腕時計を買い漁っていた。
大卒初任給4千円の時代にわずか3日間で30万円もの買い物をしていた。

少年は懲役4-7年の不定期刑、恋人は強盗傷害幇助罪で懲役2年執行猶予3年の判決を受けた。

社会の反応
当時は若者の反社会的行動が注目されており、この事件はそうした傾向を象徴する「アプレゲール犯罪」に位置づけられた。
また、「オー・ミステーク」は流行語となった。

いくつかの新聞は少年および恋人の実名・顔写真を掲載したが、触法行為をした未成年の実名報道を禁止した少年法第61条に反するとして最高裁判所事務総長名で日本新聞協会に警告が出された。

その他日本のアプレゲール犯罪
光クラブ事件(1949年11月24日)
鉱工品貿易公団横領事件(1950年4月19日) – 早船事件とも呼ばれる。
金閣寺放火事件(1950年7月2日)
日大ギャング事件(1950年9月22日)
築地八宝亭一家殺人事件(1951年2月22日)
バー・メッカ殺人事件(1953年7月27日)
カービン銃ギャング事件(1954年6月14日)

抜粋:http://ul.lc/4yr2





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