【今日の歴史】1924年7月20日の事【チェスといえば?】

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チェス

パリで国際チェス連盟発足

国際チェス連盟
Fédération Internationale des Échecs)
1924年7月20日にパリに設立された
チェスの国際組織
略称は FIDE
英語の正式名称はWorld Chess Federation

概要
FIDEは世界チェス選手権およびチェス・オリンピアードの開催のほかに、選手のイロレーティングの計算チェス規則の制定チェス・プロブレム作品集 (FIDE Album) の定期的刊行を行っている。

また同時にグランドマスター (GM) インターナショナルマスター (IM) ・FIDE マスター (FM) の称号、同じく女性限定の称号国際審判 (International Arbiter) など運営面での称号、プロブレムやエチュード(スタディ)の創作や解答の分野でのマスター・グランドマスターの称号など、さまざまな称号の授与も実施している。

いやいや、いっぱい作れば良いってものじゃ…
まあ、称号の国だから仕方ないか。。。

FIDEは世界選手権だけでなく、女性世界選手権世界ジュニアチェス選手権大陸別選手権チェス・オリンピアード主催している。

FIDEがこれ以外の大会を直接に運営することは少ないが、他のトップレベルの大会もほぼ例外なく、FIDE のルールや諸規則を尊重して行なわれている。

要するに、実権は今はフランスにあるのね…。

歴史
設立当初FIDEの力は弱かった。

チェスと政治が密接に結びつくと考えていたソビエト連邦は政治的な組織であるFIDEに加盟しなかったことが大きかった。

しかし当時の世界チャンピオンアレクサンドル・アレヒン1946年に死去したことで状況は変わった。

AlexanderAlekhine.jpgAlexanderAlekhine
出典: Wikimedia Commons

アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・アレヒン
Alexander Alexandrovich Alekhine
(ロシア語:Александр Александрович Алéхин)
1892年10月31日 – 1946年3月24日
ロシアのチェスの選手である。
1927年にフランスに帰化した
発音は、「アレヒン」と「アレキン」の中間。

FIDE後継チャンピオンを決める大会を開催することにし、ソビエト連邦もこれに関わるべくFIDEに加盟した。

その最初の1948年の大会(勝者:ソ連のミハイル・ボトビニク)から1993年までFIDEはチェスの世界チャンピオンを決定する唯一の組織体であった。

しかし、世界選手権について大きな議論が起きることもあった。

1975年にはアナトリー・カルポフ(ソ連)の挑戦を受けるチャンピオン、ボビー・フィッシャー(アメリカ)の要求すべては受け入れがたいとして、フィッシャーの持つタイトルを剥奪した。


Bobby Fischer 1960 in Leipzig.jpgBobby Fischer 1960 in Leipzig” by Karpouzi. Licensed under CC BY-SA 3.0 de
出典: Wikimedia Commons(作品帰属: Karpouzi氏)

本名:ロバート・ジェームス・フィッシャー

チェス960も考案者であり、IQ187の天才。

防衛戦の運営をめぐり国際チェス連盟に多数の条件を提示、そのうちのひとつが否決されたため挑戦者アナトリー・カルポフとのマッチを戦わず王座を返上した。という意見もある。

とにかく、この人変わり者で奇行も目立った。
1980年代から行方不明になったりもした。

しかし、チェスの天才であるw

ちなみに、最近では2004年7月14日、成田空港からフィリピンへ出国しようとしたところを入国管理法違反の疑いで東京入国管理局成田空港支局に収容される事件もあった。

2008年1月17日、肝臓病により64歳で死去した。

ボビー・フィッシャーについては(Wikipedia参照)

きっと、おもしろいよw


また1984年には、FIDE会長・フロレンシオ・カンポマネスカルポフガルリ・カスパロフとのマッチを無勝負として中止した。

最大の問題が起こったのは1993年であった

当時のチャンピオン・カスパロフと(FIDEの挑戦者決定戦を勝ち抜いて資格を与えられた)挑戦者ナイジェル・ショートはFIDEと袂をわかち、新たに設立されたプロチェス協会の主催でタイトルマッチを行った。

その時から14年間にわたり、二人の世界チャンピオンが並立することになった。

一人は「FIDEの庇護下にある者」もう一人は伝統的な「前チャンピオンをマッチで破った者」である。

この間FIDE1998年から2004年まで、短い持時間のノックアウト方式の大会でチャンピオンを決定したが、この制度変更も大きな議論を呼んだ。

また2004年の大会リビアで行なわれたことも議論を呼んだ。

2002年のいわゆるプラハ合意(ヤッサー・セイラワンの主導による2つの世界チャンピオンの地位を統一する計画)から2005年まで、FIDEは合意の内容を実現できなかった。

2007年現在世界選手権の制度はまだ不安定な状態にあり、この点でFIDEはプロチェス協会や各選手から批判されている。

そりゃそうでしょ。
発足から何年経ってんの!

1999年FIDEは国際オリンピック委員会(IOC)に国際競技連盟として承認された。
その2年後、チェスにIOCの反薬物規則を導入した。
FIDEはチェスをオリンピックの開催競技にしたいと表明している。

2013年現在これは実現していない。

抜粋:http://ul.lc/4t48 (wikipedia)より

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