日清戦争の風刺画。小国の日本が、大国の清を破る様子(Wikimedia Commons)
風刺漫画雑誌『パンチ』が創刊
パンチ
(Punch・The London Charivari)
ヘンリー・メイヒュー及びマーク・レモン、
そして木版画家エビネザー・ランデルズにより、
1841年7月17日に創刊された
イギリスの週刊風刺漫画雑誌である。
概要
『パンチ』の創刊者達はフランスの日刊風刺新聞『ル・シャリヴァリ』 (Le Charivari)を見て、イギリスにも同様の雑誌を作ろうと考えた。
その風刺的かつユーモラスな意図を反映して、彼らはその雑誌に、イギリスの大衆向けの伝統的な人形芝居「パンチとジュディ」(Punch and Judy)の主役であり、過激な言動で知られていたキャラクターであるミスター・パンチの名を冠して発行人に据え、またフランスの雑誌にあやかって「ザ・ロンドン・シャリヴァリ」と副題を添えた。
現代の用語カートゥーンが漫画を意味する言葉となったのは、『パンチ』の功績である。
創刊号の表紙は挿絵画家のアーチボルド・ヘニングが担当した。
創刊号はW・ブライアント出版社から発売され、雑誌サイズはA4判14ページ、値段は3ペンスで、第1刷5000部と増刷5000部の計10000部を売り上げた。
1849年1月のリチャード・ドイルによるミスター・パンチと忠犬トビーを配した表紙は好評を博し、以後107年間にわたってこのデザインがパンチの表紙として定着した。
リチャード・ドイルは同誌の常連寄稿者であった。
有名な寄稿者として、ジョン・ベチェマン、A・P・ハーバート、A・A・ミルン、アンソニー・パウエル、ウィラード・R・エスピー、W・C・セラーとR・J・イェートマン、サッカレー、アルテムス・ウォード、P・G・ウッドハウスがいる。
要するに、世に不満を持っていた人が多かったという事だよね。
ジョン・テニエルは19世紀後半の常連寄稿者で、健康上の理由による数回の休載を除いては、50年間にわたり毎週1ページ全体を使った政治漫画を連載していた。
雑誌『パンチ』は創刊から150年後の1992年、発行部数の減少により廃刊を余儀なくされた。
1996年前半に、実業家モハメド・アル=ファイドが『パンチ』の誌名を買収し、同年の終わりに出版を再開した。
この新雑誌は利益を生み出せず、2002年5月刊行停止が発表された。
その時の報道記録によれば、6年間の出版による損失は約1600万ポンドにのぼり、最終的な定期購読者は6000名のみであった。
第一次世界大戦の期間を含む1923年以前の『パンチ』のバックナンバーは、プロジェクト・グーテンベルクで閲覧可能である。
ちなみに、プロジェクト・グーテンベルクHPは最も歴史ある電子図書館で、登録不要・閲覧無料です。
プロジェクト・グーテンベルク(外部リンク)
豆知識
「パンチ」の表紙絵を描いたリチャード・ドイルの甥は「シャーロック・ホームズの冒険」の作者サー・アーサー・コナン・ドイルなのでした。
イギリス国外での『パンチ』の派生雑誌として、日本の横浜居留区で1862年にチャールズ・ワーグマンにより創刊された『ジャパン・パンチ』や、中国の『チャイナ・パンチ』、アメリカ合衆国の『パンチネロ』 (Punchinello) がある。
『ジャパン・パンチ』は、日本における漫画の呼称の一つである、「ポンチ絵」の語源となった。
「ポンチ絵」とは、風刺や寓意を込めた、こっけいな絵。漫画。
または、概略図。構想図。製図の下書きとして作成するものや、イラストや図を使って概要をまとめた企画書などのことを言う。
(デジタル大辞泉より)
抜粋:http://tiny.cc/zgxq0x(wikipedia:パンチ)より
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